【なぜ証言映像なのか?】⑥活字証言の“凝縮力”
vol. 6 2023-03-14 0
証言映像には文字の証言に比べて、決定的な短所がある。それは「時間の制限」と、それに伴う「細部の省略」だ。
例えばアレクシェービッチの600ページを超える大著『セカンドハンドの時代』。その前半に、旧ソ連共産党の地方幹部2人が、1991年のソ連崩壊直前の軍事クーデター未遂事件時の共産党幹部たちと民衆の動揺、そしてクーデターを民衆が阻止した歴史的な瞬間の体験談を語る章がある。50ページほどの分量、つまり全体の12分の1ほどに過ぎない。しかしその中で語られる現場証言の密度、臨場感は圧巻である。とりわけモスクワの中心部に侵攻した戦車群を取り囲む何万という民衆の熱気、彼らの怒号、悲鳴、歓喜の嗚咽・・・、まるで読者が現場に居合わせているような気分になる詳細さだ。
もしこれを証言映像で表現しようとすれば、その語りを繋げるだけで5時間は下らないだろう。視聴者は、証言の羅列だけの映像に生理的に数時間も耐えられない。しかもそれは著書全体の12分の1の分量なのだ。映像が太刀打ちできない文字の“凝縮力”である。
(写真・映画「福島は語る」より)