【なぜ証言映像なのか?】⑤活字証言と映像証言
vol. 5 2023-03-11 0
アレクシェーヴィチの『チェルノブイリの祈り』は活字証言ドキュメンタリーだ。 一方、私がめざすのは、映像の証言ドキュメンタリーである。そんな私もかつて活字ドキュメンタリーの世界にいた。しかし私は活字の世界で生き延びる実力がないことを痛感し、映像の世界に移った。ただそれだけの理由ではなかった。私は映像(音を含む)の力に圧倒されたのだ。
例えば活字なら「『悔しい』と言って泣いた」と表現されるところも、映像はその「悔しい」という言葉がどういうトーンで、どういう間をおいて、どういう表情で発せられたのか、それがどのように泣き声に変化していったのか、瞬時に視覚と聴覚の両方から情報が伝わってくる。その様子を文字で表現する力は私にはない。まさに映像の力だ。しかも私は特別の技量を必要とはしない。私が被写体にカメラを向け、スイッチを入れれば、その決定的な瞬間をカメラが自動的に記録されるのだ。文字による表現力の乏しい私は、映像にこそ向いていると自覚したのだった。
(写真・映画「福島は語る」より)