なぜ証言映像なのか?】④/ 問われる“聞き手”の生き方
vol. 4 2023-03-09 0
「“聞き手”の“人間として力量”」と言葉にすると、大げさに聞こえるかもしれない。もっと優しく言えば、「“聞き手”の“人の痛み”への感性、想像力、洞察力」「“聞き手”の人生体験、生きる姿勢、価値観、問題意識」とでも言い換えればいいのだろうか。
証言者がぽろりとこぼす一言に“深い心情”を察知し、さらにその「一言」の根っこへ連なる糸を手繰り寄せていく。
その一言に共鳴し“深い心情”を読み取るかどうかは、“聞き手”の感性だろう。それは“聞き手”自身のそれまでの半生のなかで、悩み、苦しみ、泣き、感動するなかで培ってきた感性と言っていいかもしれない。
そういう意味でも、深い証言を引き出せるかどうかは、“聞き手”の生き方そのものが問われることであり、ある意味、証言者の言葉に“聞き手”の姿も透けて見える気もする。
(写真・「福島は語る」より)