テープ起こし4 ノーマル・ハートミニ講演会(4/14開催)
vol. 30 2019-04-26 0
4/14(日)に、東京は清澄白河のしごとバーで、開催された北丸雄二氏のミニ講演会の様子を、本日、順次テープ起こしして、クラウドファンディングが終了するまでアップしていきます。
ライブ感を重視して、いまテープ起こしした、そのままを掲載!
北丸:LGBTってことに抵抗ないばかりか、みんな楽しんでいるし、ファイナル公演では役者同士でキスまでしちゃうし。そういうふうに、少なくとも公の場で、差別というのはどういうことなのか、それにどう振る舞えばいいのかってことが、だんだん分かってきている。こういうのはこの数年間のメディアの影響だろうね。でも、このまま自然とうまくいくかってことは別だし、いつもいつも繰り返し、報道や教育で差別と偏見のマズさ、ヤバさを伝えていかなければならない。これは、ずっと続く、続けるという意味で「ムーブメント」なんですよ。
ムーブメントっていうのは、時間と一緒になって、変わっていく自然の摂理でもあるし、変わっていかなくちゃならないっていう「運動」ってこと。だからその方向で続けたいと思う人がいれば、続くだろうし、続けて欲しいと思うわけ。
そういう「運動」の中から、この『ノーマル・ハート』という戯曲も生まれてきたんですよ。
演劇、とか小説とか、そういう文学的なものはだいたいほとんどが、なんらかの抵抗があって、問題があって、それにいかに立ち向かうか、立ち向かえないか、という話なんです。ま、実生活での「恋愛」ってのもそんなところがあって、だから恋愛はよく芝居や小説の主題とかネタになって扱われる。そして80年代ってのは、その「問題」がガーンと眼前にそびえ立った時代。空想としてではなく、現実問題として、生身として、HIVがあったわけ。あのころのことを覚えていらっしゃる方もいると思いますけど、日本でもエイズ患者探しが始まったのが80年代半ばから。「エイズパニック」ってのが起きて、どこそこにエイズ患者がいるってわかったらそこの地名の自動車ナンバーの車まで怖がられたり、エイズが外国で始まった病気だからサウナなんかでは「外国人お断り」ってところも出た。とにかくうつるのが怖かったから。どういうふうにうつるのかわからなかったから。
そんな時代に、ラリー・クレイマーはゲイのコミュニティの中心にいた人なんで、80年代の最初の頃から、ゲイの人たちの間で、何かおかしな病気が流行っているってことをいち早く察知したのです。ニューヨークで、どんどんそういう人たちが増えて死んでいったんですよ。そこで、自分の友人のゲイの医者だとか弁護士だとか、社会的に力のある人たち、社会問題に関心のある人たちを集めて、何かしなければって話し合ったわけ。そのときに、よし、エイズ(その頃はまだ「エイズ」という名前すらなくて、ゲイのガンとか呼ばれていたんだけど)、その患者たちを支援する団体、ゲイコミュニティに危険を訴える組織を作ろうということになったんです。政治は全く動いてくれないし、アメリカは日本のような健康保険もないからね、みんなで助け合わなきゃならなかった。
そうして作ったのが、「ゲイ・メンズ・ヘルス・クラシシス(GMHC)」。「ゲイ男性たちの健康の危機」っていう、長ったらしい変な名前の団体。「GMHC」って呼んでましたがね。それが、80年代から90年代前半にかけて、世界最大のエイズ支援団体になるわけですよ。ラリー・クレイマーは、その創設メンバーだった。ところが、彼は、ものすごくフラストレーションたまるわけ。なぜかというと、当時の80年代のレーガン政権が何もしない。なぜ何もしないかというと、ドナルド・レーガンというのは、共和党、つまり支持母体がキリスト教の人なんですよ。キリスト教ってのは、同性愛を罪だと思っている。罪だから、地獄に堕ちて当然だからゲイたちに手を差し伸べないし、また、ゲイ達を救うことで、支持基盤を失う。だから、ロナルド・レーガンは、目の前で、そんな悲劇が起こっていることに対して、全く何も対応しなかった。そりゃ、ラリー・クレイマーじゃなくたって怒るでしょ。
(44:22まで)