アートなリターン解説 vol.5 〜赤城修司〜
vol. 33 2021-05-18 0
福島県の高校の、現役の美術教師である赤城修司さん。
こういう方が福島の中から発信を続けることの意義の大きさに、感服する。外の人間が何を言おうが、圧倒的なのは現場における日々の生活だ。そこで何が起きているか、権力や巨大電力会社や代理店がつくり出そうとする社会の幻想的な在り方と、目に見えなくとも、具体的に放射性”物質”が降った現実との狭間には当然のように歪みが生まれる。
赤城さんはそこを、「震災前と同じく生活していること自体が異常」と説明しながら「身の回りのことすべてが記録に値するのだけど、すべては無理」と語る。「みんなが『大丈夫』、『安全』と言って普通に暮らすということ自体がすごく異常なことと思っていた。その中でマイノリティとして『何かを言う』には、『どう言うか』。そこをビビりつつ考えつつ、出せる範囲で出してきた」という言葉から、現場にあった、そしてたぶん今も深いところに残る、原発という存在が人間社会に生み出す、それこそ「歪み」の大きさが見てとれる。
3.11直後のチラシや新聞、TVやラジオ放送も、当時の日本社会全体がどういう価値観を表面上共有していたかという有り様を伝える、歴史的な資料と捉えているという赤城さん。それらも含め「全部撮りたい」と想いに対して「撮り逃したものの方がはるかに大きい」と思っているという姿勢から、赤城さんの写真が持ちうる意味を測り知ることもできるだろう。
写真を撮る上で意識してきたのは「今に残すよりも、50年後に残すこと」と語る赤城さん。ぜひ、写真に写された日常から染み出す想いを感じて欲しい。
The 10th FUKUSHIMA, Nippon AWAKES発起人 平井有太
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赤城さん提供のリターン【限定1点:福島の写真3点セット】10万円
https://motion-gallery.net/projects/the10thfukushi...
福島県内高校の美術教師であり、原発事故後の福島市を記録する表現者でもある赤城修司さんが2017年に撮影した写真パネルセットです。
「できるだけ自分の手の届く範囲の場所を記録したいと思っている。いかに世のメディアが復興に湧く輝く街にうめつくされていても僕の足元の僅かな傷跡を記録したいと思っている」
Fukushima Traces 2011-2013 赤城修司著 あとがきより
木枠に、写真印刷してキャンバス地を貼った、厚み4㎝の作品です。展示用の金具付き。
①桜が咲き乱れる春 市民の憩いの場である人気の公園のすぐ隣の、グリーンシートに覆われた放射能汚染物質の山。これが福島市の日常であった。©Shuji Akagi 2017
②モニタリングポストが横にある街の風景。数値は0.124μSv/h(通常の2~3倍)。©Shuji Akagi 2017
③フレコンバッグ(放射能汚染物質)の山の前をマラソン大会で走る人々。©Shuji Akagi 2017
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