建築家の板坂留五さんからトライアルレポートが届きました!
vol. 17 2021-05-13 0
去年の末ごろに「劇場をつくるラボ」の一員に加わることになった。私はもともと、対象となっていた福祉施設の現地リサーチを行い、視聴環境の下地となる空間としてその場を読みかえて手立てを考える、というようなことをイメージしていた。ところが、新型コロナウイルスの影響で現地を訪れるということが難しくなってしまい、それをきっかけに、「キットを送る」ような考え方にシフトし、私を含めた3人のゲストクリエイターと山川さんのチームで取り組むことになった。
(その様子のレポートはこちら https://motion-gallery.net/projects/tfa_movingtheatre/updates/35118)
トライしたキットのうち、<床うち>と<丸太スピーカー>から考えた、その少し先を言葉にしてみようと思う。
<床うち>は、下を向いた姿勢が楽なメンバーが多いことを聞き、私が以前別のプロジェクトで考えていた机の天板がモニターになっていたらどうだろう?という話を思い出し考えてみたものだ。映像の撮り方には、一般的な地面に三脚を立てて正面を向くようなものや、俳優自身につけて同じような視点を捉えるようなもの、ドローンのように鳥瞰するようなものなど、様々な方法と視点がある。では、見る方が視点を変えてみるとどうなるだろう?そんな興味で試みてみた。
アートセンターHANAでのトライでは、建物中央部にある吹き抜け部分の床を利用して、水平に映像を見ることを試してみた。字幕付きの演劇作品である益田市石見神楽神和会 藤田善宏の「SHOKI -鍾馗-」(以下「石見神楽」)と白黒のアニメーション作品であるウィスット ポンニミット「hesheit」を上演した。私は現地に行くことがかなわなかったので、記録映像など伺っていたのだが、どちらもそれぞれの反応があり、私も体験したかったなあ、と思いながら次のようなことを考えた。「石見神楽」は、映像の中の空間が床に対して垂直なため、想像はしていたが見易さとしては少し難があった。一方で、投影している映像の上で踊っているメンバーの方がいたのが興味深かった。彼女にとって、投影されている映像は見るものではなく、単なる色や光の移り変わりで背景のような下地のような役割になっているのかもしれない。それに空間に響く音が加わって、自然と体が動き出したのだろうか。
視覚情報が与える影響の強さを改めて感じるとともに、映像が「きちんと見るには少し難しい」完結していない環境があることによって、別の楽しみ方が発生している。初めから参加型の上演としてつくられていなくとも、視聴環境のつくり方によっては、鑑賞者の身体によって経験がようやく出来上がるような、上演と観客の関わりしろが考えられそうな気がした。
スマートフォンさえあればしっかりと上演を楽しむことができる作品ラインナップだからこそ、環境づくりでいかようにも何度も作品を楽しむことができるかもしれない。
かたや<丸太スピーカー>(詳細はこちらhttps://motion-gallery.net/projects/tfa_movingtheatre/updates/35118)は、他のキットの内容物でひきたつ異物感(あるいは平凡さ)から、初回はあまり反応が得られなく惜しく思えたが、実はとっても良いことだったのかもしれない、とチームやHANAの方達と話しているうちに感じてくるようになった。
まず挙げられるのは、初見で「難しいもの」に思われなかったということだ。他のプロジェクターやヘッドフォンなどはまずセッティングをするところから始まるので、箱から出してあれこれと準備が必要となる。とはいえ実はこの丸太スピーカーも使い勝手としては難しいところがあるのだが(今も改善してトライアル中)、「使い方はわからんけど、ほっといても『ストレッチポール』。」という安心感からひとまず棚に上げて部屋の中に転がしておくことができる。そこがこのスピーカーの思わぬチャームポイントだった。
劇場をつくるラボのメンバーの中で「日常にどう入り込むか」ということが重要なキーワードの一つとして共有されていた。床うちであれば、移動中にふと目に入ることを意識した場所選びだったり、個人ブースであれば、普段から使用しているような機材に支持体をプラスするような場づくりだったりを検討してきた。
この丸太スピーカーは、もともと上演環境でよく使われる黒くて重い大きなスピーカーの代わりとして、普段の風景に馴染むようなスピーカーとして考え、複数人で腰掛ける椅子のようになったり、寝転んだ時の枕代わりとしても使えるようなイメージで「丸太」をモチーフとした。具体的には、郵送のこともあったのでサイズや重さが手頃な軽い素材のストレッチポールと、LRの設定のできる既製の小型スピーカーを組み合わせてよってつくられた。
トライアルを経て気づいたのは、私が想定したような「いかに風景へ馴染むか」というアプローチではなく、もっと感覚的な第一印象が重要であるということだった。
普段私がしている建物や内装などのデザインは、それ自体を動かすことはほぼなく、人や物に対する器として働くため、現状の部屋の中にどんなものがあったり、どんな活動があるのか、ということがきっかけとなることが多い。そうしてデザインした建物や内装に対して、受け取る側は、自分の居心地の良い場所や物の収まりの良い場所を探していくように馴染んでゆく。そして私は、まるで前からそうだったかのような様子や思わぬ場所を発見している様子をみて嬉しくなったりするのだ。
ところが今回のプロジェクトは、提案するモノを受け取る側がまず箱から取り出すことから始まり、それからどこでどうやって使ってみようかと考える流れになっている。その箱から取り出した時の「知らない」か「なんか知ってる」かの違いが、そのモノが部屋の一部になるまでの時間に関わることが分かった。
また、アートセンターHANAのようなモノ(主に今回は機器類)に対する感じ方が多様な不特定多数の人が集まっていたり、スピーカーとして使われない時間がほとんどを占めてるような環境に対しては、「Aでもあり、Bでもある」のようないくつかの意味を持っている物が向いているのかもしれない。
とはいえ、意味があればある=フレキシブルだと良いというわけでもない。フレキシブルなものを扱うには、自分に最適となるよう選択をしなければならなく、意外とスキルと時間が必要で、結局見本のように組み立てて満足してしまうように、選択肢の多さはそこまで必要なかったりする。
それに比べて「AかBか」は簡単で、とりあえずこっちを選ぶことができる。とにかくモノにタッチしてもらうこと、もう一つの意味は気付いた時に考えてもらえればいいのだ。それが、上演を身近にするはじめの一歩と考えることができるのかもしれない。これくらい地道に思えるやりとりが、福祉施設に視聴環境をつくることには必要だということを、アートセンターHANAのスタッフの方達から学んだ。
私自身、福祉施設についてはじめて知ることが多く、最初は漠然としか捉えられていなかった多様性やアクセシビリティという言葉だったが、みなさんとのやりとりを重ねるごとに、解像度が上がっていく実感があった。そんな今、気になっているのは「ながら上演」。トライアル中に、施設のメンバーの中には別の行為をしながら過ごすのを好む方がいるということを伺い、日常の隙間を見つけることに加えて、重ねていく方法を考えてみたいと思っている。
板坂留五
建築家
1993年兵庫県生まれ。2018年東京藝術大学院美術研究科建築専攻修了後、独立し空間設計を中心に活動。2020年より東京藝術大学美術学部建築科にて非常勤講師を勤める。主な作品に、店舗兼住宅「半麦ハット」(2019,淡路島)やギャラリー「タンネラウム」(2020,東京)がある。他、生活工房(世田谷区)の什器の設計、ドローイングを用いたweb記事の連載などがある。
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