祭ばやしが聞こえる vol.2
vol. 46 2022-04-03 0
"おまえは監督よりも…”
すっかりあたたかくなってきましたね。福岡県八女市の自宅の周りもすっかり春の様子です。徒歩1分のところにある祇園神社(通称:祇園さん)の桜、毎年本当に見事です。今年もヒロミさんと見に行ってきました。
昨年、道路に垂れ下がってきていた枝が伐採されてしまったのです。それはそれは見事な枝ぶり、咲きっぷりだったのですが…残念だったな。通り過ぎる車の屋根にかすりそうではありましたし、理屈としては分かるのですが、自分が人間の一人であることも棚に上げて「人間って勝手だな〜」と思ってしまいました。花見だ綺麗だと騒ぐくせに、自分たちの利便性のためには伐採してしまうんだな。嫌だな。でも植物は凄い。僕が気にしているほど、その痕跡も感じさせず、今年もたわわに咲き誇っていました。一年地中で、また幹や枝の中で、ずっと準備をして、春に花を咲かせる。でも勘違いしちゃいけないのは、花を咲かせるために準備をしているんではないってこと。花がオマケで、咲いていない時期が植物にとってのギリギリの勝負であり、本番なのかもしれない。そこを忘れたくない。
閑話休題。さて、映画監督や有名俳優による性的暴行が取りざたされていますね。僕は早々に東京での助監督修行に挫折をしていますし、今やっている映画づくりは、地方で小さな畑で、なるたけ農薬を使わずにデコボコな野菜を育てているようなものなので、正直ほとんどわからないし、論じる資格もない人間です。
ただ少し思い出したことがあったので、書いてみよう。僕が大学生、芸術学部の映画学科というところに通っていた時分の話です。学校がフィルム会社と組んで、開発中のフィルムを試してみるとかそんなことで、30分程度の映画を作るという噂が流れてきました。監督を務めるのは、当時映画学科の講師をしておられた監督さんで、助監督としてその現場に同級生も一人、参加するらしい。
僕はその監督さんの脚本の授業を取っていて、日頃から「映画を監督するにはどうしたらいいんですかね〜?」などのくだらない質問を何かにつけしていました。
(今考えると本当にイタい質問で、我ながら顔から火が出ます。どうしたらもこうしたらも、作りたいもの作るしかないんです。とっとと作れよ!当時の俺!作りたいものが見つからないから逃げてるだけだろ!って、あの頃の自分に言いたいです)
ある時その監督さんが言われました。「そんなに言うんなら、来月から俺が監督する火曜サスペンスの現場があるけど、助監督で参加してみるか?」それを聞いて、前述したように口だけのヘタレだった僕は「え?それは…う〜ん。え〜と…」「(見透かしたように)な。参加する、って言ってたら、少しは何か変わったかもしれないぞ」「…」「伊藤、お前は気持ちが優しいというか、前に出にくいような性質があるから、おまえは監督よりもプロデューサーの方が向いてるかもしれんぞ」
さて、新しいフィルムを使ったという、30分程度の映画の完成試写が校内で開催されることになり、僕も観に行きました。助監督として参加した同級生と事前に話したのですが、何しろやることなすこと監督にキレられ、怒鳴られ、絞られたと(確か、泣いてしまった、とも言っていたと記憶しています)。同級生いわく、何しろ自分は(仕事が)できなかったので、監督の愛情ゆえの鞭と感謝している…そんなように気丈に言っていたと記憶しています。
「僕は逃げたのに、同級生は勇気を出して参加して、ものすごい経験を積んだのだな」
自分を恥じるとともに、自分が目を背けてしまった何かを取り戻すように、僕は試写会場のスクリーンに目をやり、襟を正しました。
…これでね、映画が素晴らしい作品だったら話は綺麗に着地するのですがね。事実はその逆だったんです。故・中島らも氏は「作品に優劣をつけるのはおかしい。平均を超えているかどうかという基準があるだけで、超えていれば後はそれぞれの好み」と雑誌で答えていて、僕もその通りだと思っているのですが、その映画は当時の僕から見ても「平均を超えられなかった作品」のように見えました。こうなると、話は変わってきます。
「作品が素晴らしければ納得もいくが、このような作品に参加してキレられ怒鳴られ…それで愛情の鞭って、なんかおかしくないか?」
「監督が同級生にキレてたのは、自分の仕事が空転してることへの焦りを転化してたんじゃないのか?」
「ていうか、気持ちが優しいからおまえは監督よりもプロデューサーの方が向いてるかもしれんぞ…と言われ、俺はかなり悩み、葛藤したぞ。一体どの口で言ってたんだ?俺は何を悩んでいた?」
「誰が何と言おうと、監督は自己責任の世界で、様々な経験を積み、一歩一歩、信じるに足る自分を作り、自分なりに渡世していくしかないんじゃないか」
実際、その同級生は、その経験が原因かはわかりませんが、卒業後も現場には入らず学校に残り、職員としてがんばっていると聞いています。僕は、九州は福岡県の小さな町で、えっちらおっちら、今日も三作目の東京公開に向けて水面下で準備をしています。どっちがいいとかそういう話ではなく、各自、経験から何かを学び、信じるように生きていく。それだけだと思っています。
あ、映画業界の性的暴行の話はどこへ行った(苦笑)。
映画監督だからって、新人をトラウマになるほど怒鳴り散らして良いわけがない。ましてや女性に乱暴をして良いわけがない。強烈な自我を持っている人間しか素晴らしい映画を作れないわけではない(自我が暴走すると、報道されているような事件も起きかねない)。気持ちが優しくたって映画を監督し、公開することはできる。この項はそういう話でした。
雑多な作業場1F。
伊藤有紀