映画「曙光」に寄せられたコメント(精神科医・斎藤環さん)
vol. 36 2018-06-19 0
精神科医の斎藤環さんから映画『曙光』へのコメントをいただきました。
「『歪んだ王国』の崩壊と再生 / 斎藤環(精神科医)
率直に言おう。本作の冒頭から、私は強い違和感を感じていた。
主人公の女性は、12歳の娘をいじめによる自殺で失った。その後、彼女の人生は一変する。彼女は息子や仲間とともに、自殺未遂者の救援活動を開始するのだ。365日、24時間体制で、電話をくれた未遂者の救援に駆けつける活動。彼女は未遂者を山間の自宅兼グループホームに連れ帰り、起居を共にする中で再生を支えようとする。その善意、その行動力、いずれも素晴らしい。そこまでは賛嘆に値する。
にもかかわらず、違和感は一向に去ろうとしない。その理由は分かっている。
精神科医としての私の恩師は、故・稲村博氏である。稲村博氏は「いのちの電話」と日本自殺予防学会の創設に関わり、日本に自殺学を導入した最初の研究者でもある。その縁あってか私も自殺予防の講演会などで話す機会は多く、専門家の端くれを自認している。そうした私の視点から見て、彼女の活動はあまりにも無謀なのだ。
救援活動に関わって長いはずなのに、自殺者と向き合う彼女の表情や声は緊張と不安に満ちている。この顔で「大丈夫」と言われても全然安心できない。いきなり自殺の動機を聞くのもどうかと思うが、もっとまずいのは「死ぬことは許されない」というお説教だ。自殺の危険にある人にこの手のお説教をすると、罪悪感から余計に追いつめられることがあるので、このやり方は好ましくない。
一事が万事、とまでは言わないが、彼女の手法には、これまで自殺学が蓄積してきた手法に学んだ形跡があまりに乏しい。その活動は、娘を喪ったトラウマを慰撫するための独りよがりな自己治療にも見える。彼女は多くの未遂者を一人で抱え込んで、自分だけの王国を作ろうとしているのではないか。しかし、たとえ自己満足であっても、多くの人が救われたのだから良しとすべきか。
監督自身が必ずしもそう考えていないことは、本作に一貫して漂う不穏さ、破綻の予兆とでもいうべき雰囲気からもあきらかだ。
そして「王国」は崩壊する。自らの抱え込んだ歪みに耐えられなくなって自壊するのだ。おそらく本作は、坂口監督の作品歴の中でも、もっとも容赦なく「残酷」である。山間部の美しい自然の風景が、その残酷さを一層際立ったものにする。
善意と奉仕のもたらした廃墟で、しかし彼女は一つの幻影を見る。たった一人で、素朴な善意の象徴であるかのようなおむすびを握る。少年は無心に苗を植え続ける。このシーンを見て私はようやく得心した。蟻が巣穴を掘るように、蜂が蜜を集めるように、彼らはこれからも、未遂者を救済し続けるのだろう。それは人が自死を選んでしまうことと同じくらい“自然”な営みだ。
そして、そこにこそ、システマティックな自殺予防活動の隙間を埋めるような、一縷の希望があるのかもしれない」
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映画「曙光」は2018年10月6日よりアップリンク渋谷にて公開です。
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