第4章ご支援を形に!白ばら再開までの道のり
vol. 12 2018-10-02 0
■7月7日 達成記念パーティー 歓喜に酔いしれて
七夕の夜、全国からコレクターの皆様が集まり「達成記念パーティー」を盛大に開催することができました。まさか3日で200万円(募金も含め)集まるなんて予想だにしてなかった私たちは達成を前途としていない「応援ありがとう&これからもよろしぐお願いします!!Party」という弱気なタイトルのチラシを用意してしまっていたのです(笑) この夜はすべての関係者がお祭り騒ぎです。
動画の後半に、あの薄っぺらなホステス在籍札に名前を入れるというリターンに10万円を投下してくださったコレクターのお名前を白崎映美ねえさま直筆で名入れさせていただきました。(名入れ式の様子は11分11秒ぐらいから)ひとりは終了の前日の23時台に10万円を投下して300万円の大台に乗っけて、最終日にバトンを託した、私の同級生・中瀬義範くん。愛すべきおバカな街の電気屋「イサムデンキ」の名前を7番に入れさせていただきました。
そして、この在籍札に20万円を投入されて、目標額の350万円のゴールテープを見事切ってくださった比留間洋一さまの名前を刻ませていただきました。比留間さまは今回も早々にご支援くださいました。
常識では考えられない投資、清水の舞台から飛び込むような気っ風の良さ。
私たちは、その蛮勇に鼓舞されて、この1年頑張ってこられたのです。
◆7月中旬、返礼品の準備&発送
いつまでも達成の興奮に浸ってるわけにはいきません。履行しなければならないコレクター(支援者)の皆様とのお約束が残っています。「楽しいこと&お馬鹿なこと」しか考えない私たちは調子に乗って凝りすぎた返礼品の準備にテンヤワンヤ!一度に発送できれば余計なコストをかけないですんだのですが、1ヶ月以上なにもないでは申し訳がないと、メンバーズカードだけは急いで全員に発送いたしました。
その作業を一人で担ってくれたのが白ばら工事部長だった故・神足俊明。
今年3月に脳幹梗塞で倒れ搬送後たった1日で帰らぬ人となってしまいました。白ばら物語史上これほど出口の見つからない悲しみはありません。今回のプロジェクトの動画や写真に彼が出てこないことなどないほど重要な存在で、SAVE!the白ばらの次期代表になってもらおうと心に決めていた人間でした。今回も早々に支援くださったニュージランドに住む彼の従姉妹の神足奈央子さんに、神ちゃんを表に出してしまって申し訳ないと謝意を伝えたところ「俊明の性格だから、もっと出してもらった方が喜ぶと思うし、私たち親戚一同もそれを望みます。きっとあの世で、今回も駆けずり回っていることでしょう」という返事をいただきました。
遣り残した無念を一番抱えていたのが神ちゃんだったはず。彼の無念を晴らす意味でも今回の戦いは重要です。これから気兼ねなく、彼にも登場してもらうことになります。
◆正念場の8月
Tシャツ、写真集と8月上旬には発送を終え、残るはDVD制作と、消防設備工事の着手です。
◆大切な人との別れ これは個人的な裏話ですので興味のない方はすっ飛ばしてください。ちょうど消防設備の工事日程も決まって、返礼品DVDの制作に着手しなければと製作会社との打ち合わせに取り掛かっていたタイミングのお盆の13日早朝、母が大動脈瘤破裂で急逝し頭がホワイトアウトしました。親孝行せずじまいで逝かれてしまった悲しみの闇は深いものでした。通夜と本葬を終えても込上げてこない涙に苦しみました。母の死を受け容れられなかったのかも知れません。
母の死から1週間、DVDの素材となる裏話の収録に臨みました。
↑これは達成記念DVDに差し込まれた「よもやま話」の動画、神ちゃんと掛け合い漫才のように、クラウドファンディングにチャレンジするに至った経緯、ファンディング期間中の感動秘話、舞台裏の想い、感情の揺れなどを収録したものです。今回は一人で収録しなければならないのか・・・
◆密かに忍びよる暗雲の数々
実は、昨年CF達成後、消防設備を整えた頃、大杉漣さんが視察に来るという話が飛び込んできたのです。そのためお掃除隊を募集しましたら、地元公益文科大学の学生を中心にお掃除隊が結成されました。予想外の資金をいただいたので、ありがたく急遽ボロボロだった床も新調し、10月29日に一般公開しました。テレビの取材も入っていたのでご笑覧ください。
実は、その前の週の10月23日、台風の影響で西側(楽屋裏)の壁面が崩落しました。目の前が真っ暗になったのは言うまでもありません。まだCF達成の余韻が残っている最中でした。
なんて過酷な洗礼でしょうか!!これでもまだ諦めないのか?と天が本気度を試しにかかっているように思え、「諦めません!」と白ばらのホールで叫んでいました。
29日は手伝いを任せた公益大生が張り切って準備してくれていて、山形放送が取材で入ってきていたのに、お客さんは7人ぐらいしかおらず、彼らの頑張りに報いることもできなかった自分を責めました。
ご支援いただいたばかりで、自助努力もしないままに、すぐに追加支援をお願いできる程、私も面の皮があつくありません。建物所有者である奥羽観光さんと資金を出し合い、工事用シートで包んで雨漏りしないように仮補修して、自力で稼ぎ出す方向を目指しました。
◆開業に向け
前回のクラウドファンディングでお約束した通り、ご支援いただいた方が酒田においでになって「白ばら」が体験できるように、運営会社を立ち上げ、保健所の営業許可を取得し即開業という段取りで進むつもりが、保健所の指導により新規取得には厨房の全面改装が条件となり、想定外の出費を余儀なくされました。その工事費を賄うために酒田市の開業資金助成などにもお世話になりながら自己資金を日和山ホテルで捻出し、年度内の開業にGIRIGIRIのタイミングで目処がついたのです。
◆そんなさなかに、白ばらの洗礼が再び( ̄_ ̄|||)
ようやく開業に間に合った!と喜んでいた12月25日に新たな苦難が舞い込んできました。えっ、まだ苦労があるのっ?って普通はなりますよね~!でもこんなに苦労が重なると麻痺して逆にドーパミンが大量放出されて嬉しくなってくるから不思議です(笑)
通行人からの通報です。「白ばらの屋上で幕が暴れて電線を叩いてますよ!」
折しも爆弾低気圧が通過中、不安を胸に急行すると、白ばら前には消防車と東北電力の車がハザードを点け停まっていました。上空では剥離した屋上防水シートが高圧電線をパタパタと叩いてます。積もりこそしないけれど粉雪が舞い始めたこの時期に・・よりによって・・・
まだ断崖絶壁の狭い一本道にいて、進んだと思ったら来た道が崩落する険しい道のり。見えてるカーブの先の様子は皆目見当がつかない。前途多難の再出発となりました。
◆そして開店
とはいえ、なんとかかんとか、2015年12月30日の閉店から2年の刻を経て、同じ12月30日に再開のバトンを受け取ることができました。当日のセレモニーには酒田市長もお祝いに駆けつけてくださり、たくさんの方々に門出を祝っていただきました。
前支配人・本間邦夫さんから受け取ったバトンは「白い薔薇」のブーケ。私に渡されたブーケが、白崎映美ねえさんに渡り、そして市長へ、さらには会場に参列くださった皆様へと隅々まで渡って行ったのです。ここに、新生「白ばら」の復活を高らかに宣言いたしました。
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注記)ページのデータ量が多い為、進捗をアップできない状態になっています。その為、アップした文章や画像を大幅にに削除しなければなりません。元の文章をアップデートに残させてください。それに加え、システムが許してたら本当はあげたかった幻の画像もアップしておきます。
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