イラストレーターの小池アミイゴさんから応援コメントを頂きました!
vol. 7 2022-11-14 0
イラストレーターの小池アミイゴさんに、この映画『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく』に寄せていただく言葉を依頼しました。返ってきたのは、白鳥さんへの手紙のような文章。自由奔放で優しい絵を描くアミーゴさんならではの視点は、白鳥さんへのラブレターのようで、読んでいてついつい笑みがこぼれます。最後まで読んでいただけたら嬉しいです。もちろん、白鳥さんにはこのお便りは伝えましたよ〜。
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確信を持った線を一本描くということは、実は体がとても喜ぶ行為です。
なにか美しきものに出会い、「これを描く」という確信を得てキャンバスに向かい、
心の求める美しき線と身体が求める筆の動きが一致した瞬間、
「ゾゾッ」と心と身体が喜ぶのです。
(中略)
白鳥さん、ボクたちは美術館の絵の前で会いましょう!
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(全文)
白鳥さんへ。
まずは自分の経験から。
2012年3月に「東日本」と名付けた展覧会、ボクが描いた東北の風景画を前に、ワッと何かを語り始める人たち。少なからずの人が涙を流したりもしていました。
2011年3月11日に起きたことを目の前に、表現者であれば「アートは何が出来るのだろう?」と自問したはずです。今振り返って見ると、自分は何かを考える前に「被災地」と呼ばれる場所に行き、ボランティアに参加したりただ歩いてみたりを繰り返し、「自分はただ美しい絵を描けば良いのだろう」と思い、東北で出会った風景や花の絵を描き、1年後の展覧会で発表しました。
「あの日から1年、この絵を見て初めて『怖い』という言葉を言えた」そんなことを語る人は、その後数年に渡り現れ続けました。
子どもたちから学んだこと。
子ども向けのワークショップをお願いされることが、やはり2011年3月以降増えました。
子どもが絵を描きながら「見て見て」と振り返った時、親が「見る」だけでも子どもは安心して前に進めるようです。それはアートや芸術なんて立派なことでは無く、絵を介して交わされる豊かな会話のように思います。
親が自分のやっていることを認めてくれた子どもは無敵です。白い紙の宇宙をどこまでも進んで行くことが出来ます。白い紙の上に確信を持って描かれる1本の線。心も体も振り切って塗られた1色の色。それらは誰かのジャッジを必要とするまでも無く、ただただ美しいものです。
子どもたちが描いた絵の周りでは、大人たちが色んなことを語り始めます。
心も体も振り切って描かれた一本の線は、それだけ人の心を開く力が有るということです。
ボクは今、白鳥さんと逆方向から美術館に向かって歩いています。
確信を持った線を一本描くということは、実は体がとても喜ぶ行為です。
なにか美しきものに出会い、「これを描く」という確信を得てキャンバスに向かい、心の求める美しき線と身体が求める筆の動きが一致した瞬間、「ゾゾッ」と心と身体が喜ぶのです。
そうしたことをボクは子どもたちから学び、自分の創作に活かしてきました。
ボクは芸術作品を「鑑賞」するという行為が苦手です。
苦手というか、心に何か分からせるより前に、身体が絵を追いかけ始めてしまうという感じかもしれません。
「ピカソー!」「マティスゥ~!」「オ カ モ ト、タローー!」と、それぞれの作家の確信力に満ちた筆致を追う快感に身体が叫んでしまうのです。
ある日ボクの提案で『版画家の斉藤清の作品とピカソの版画作品の展覧会を、子どもたちと会話し放題で見る』という時間を創りました。
楽しかったですよ~!
勢い、子どもたちに「ピカソの絵のポーズしてみよう!」とか「斎藤清の猫のモノマネ大会!」とかやっちゃってみたら、絵はちゃんと身体の中に入って来てくれるんですよ。
「ピカソさん、もしかしたらあなたの絵の楽しみ方はこれが正解なのではありませんか?」なんて思っていたら、この映画。
白鳥さん、ボクたちは美術館の絵の前で会いましょう!
ボクは白鳥さんと一緒に絵を見ることが楽しいだろうと想像しつつ、白鳥さん、ボクと一緒に絵を見ることは、楽しいですよ~!
小池アミイゴ
小池アミイゴさんと三好は15年前に福岡で出会いました。出会った、と言っても立ち話程度でしたが、その時、走ることに目覚めてストイックに走り込んでいた僕の立ち姿にビビッときたそうで、翌日に僕が履いていたものと同じランニングシューズを求め、以来走り続けていることを、先月15年ぶりに再開した斜里のしれとこくらぶで話してくれました。写真は知床自然センターでアミイゴさんのお絵かきワークショップに参加した時のもの。一本の線からはじまる絵の世界の体験は、子どもの気持ちに帰るような豊かな時間でした。
(文 三好大輔)