「バリアフリー版をつくる」(前編) 共同監督:三好大輔
vol. 4 2022-11-09 0
バリアフリー版をつくる (前編)
その日、映画制作の最後の瞬間が終わろうとしていた。
頭の中には、映画のエンドロールに出てくる「あたりまえのことなんだ」という歌詞がリフレインしていた。
「あたりまえのこと」ってなんだろう。
僕にとっての「あたりまえ」は、この映画を作る前とあとでは違うものになっていた。
普段は映像を作るという仕事だけれど、今日は、「あたりまえ」をめぐる僕の変化について書いてみたい。文章を書くのは得意ではない。でも伝えたいから、とても長くなるけれど、最後まで読んでもらえたら嬉しい。
今年の5月、劇場版ドキュメンタリー映画『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく』が完成した。この作品が生まれる前段階として、オンラインで公開されている中編作品『白い鳥』がある。この作品には、視覚障害者用の[音声ガイド版]と聴覚障害者用の[バリアフリー日本語字幕]、そして[英語版]がある。これらは、アクセシビリティに特化したオンライン劇場THATRE for ALLのサイトで観ることができるので、是非ご覧いただきたい(https://theatreforall.net/movie/awhitebird/)。『白い鳥』...
バリアフリー版を制作するには時間も労力はもちろん、コストもかなりかかる。前作『白い鳥』ではその予算を当初から確保していたので気にすることもなかった。今回の劇場版でもバリアフリー版を制作する予算は助成金で賄うことを予定していたけれど、制作期間が伸びて費用がかさんでしまった上、申請していた助成金が予定よりも減額されてしまうという残念な結果に終わってしまった。そのためバリアフリー版の制作は宙に浮いたままになっていた。
これといった解決策もないまま時間だけが過ぎていった矢先、「バリアフリーグラント配信作品公募 バリアフリー化したい作品を募集します」と、THEATRE for ALLを運営するprecogが、グラントプログラムをはじめたことを知る。この報を受けて僕らは舞い上がった。これを獲得すればバリアフリー化に必要な経費が浮く。予算がなくなり次第終了、ということだったので急いで書類を整えポチッと申請。担当者とのミーティングなどを何度か行った上で、採択の通知が届いた。やった〜!と喜びながらもまだこの時点で本編は完成していなかった。6月の末にようやく本編が完成し、バリアフリー版の作業にとりかかることになった。
とはいえ、その前に、自主配給でこの映画を世に送り出すには、様々な関門を乗り越えていかなければならなかった。右も左もわからない状況の中で知り合いの映画関係者の方々からアドバイスを受けながら、配給の準備を進めていった。そして、気がついたら8月。スケジュールを確認すると、8月も9月もあちこちと出張を詰め込んでしまったためカレンダーに隙間がない。まずい、このままだといつまでもバリアフリー版を完成させることができない。そんな中、10月8日の水戸映画祭の上映が決まり、日本語字幕版を上映することになった。水戸映画祭から逆算してスケジュールを組んでもらうことになった。制作補としてこの映画を裏でサポートしてくれていた妻の祐子さんにも一緒にやってもらうことにした。
<バリアフリー日本語版をつくる>
さて、まずはバリアフリー日本語字幕版の制作に着手。映画で表現されている音の情報をテキスト化する。耳の聴こえない方に、音の情報を文字で伝えるための作業だ。バリアフリー版の制作の中心を担うのはパラブラのスタッフの方々。イタリア語で「言葉」を意味する会社名にその志を感じる。まず、専門のスタッフが映画で話している言葉を文字起こしし、音声情報をテキスト化してエクセルに整理したものを作成。メールで送られてきた107分の映画の字幕は、A4の紙にして44ページ、実にテロップ1,253枚分である。映画本編に字幕を貼り付けたデータも併せて送られてきた。
さて、ここからが我々の作業である。これを一言一句チェックしていくかと思うとなかなか気の遠くなる作業だけれど、途方に暮れている暇はなかった。なんとか時間を作り、祐子さんとモニターに向かい、映画を再生しながら一言ずつ確認していく。言葉のチェックと共に話者が誰かということも明確にする必要がある。喋っている人が映っていないシーンでの言葉には特に注意が必要だ。そして字幕を表示する時間と分量の中でいかに的確にその場面を伝えるかに腐心する。「食器を並べる音」を「食器を重ねる音」に修正したり、
「選ばれなかった人は生き埋めになる」を「選ばれなかった人は 生き埋めになる」と文字間のスペースを入れることで言葉の「間」を表現したりする。なんだかんだと6時間くらいをかけて作業を完了。まずは第一段階終了。
1週間後、バリアフリー版をつくる上で一番肝となる「モニター会」が行われた。会場は中野坂上のパラブラさんの会議室。集まったのは、パラブラのスタッフ2名、耳の聴こえない方3名、手話通訳者2名、弊社から僕と祐子さんの2名が参加した。
モニター会の中心となるのはモニターさんと呼ばれる2名の聾の方々。ひとりは細身の男性で生まれつき耳が全く聞こえない、第一言語が日本手話のDさん。もう一人の清楚な女性は数年前にだんだんと耳が聞こえなくなり、今は補聴器をつけて口の動きなどを加味すれば、なんとか4割くらいは会話を把握できるというYさん。
挨拶を済ますと、早速モニター会がはじまる。まずは字幕入りの本編を通して観る。テロップで表現されている言葉は必要なのか?的確に伝わっているのか?伝わらない部分、理解しにくい部分を各自チェックしていく。事前の原稿チェックを反映させてあるので、気になる箇所は少なかった。観終わった後、モニターのお二人に映画の感想を伺った
「このような映画を観たことがない。聾者の自分たちにとっても新しい視点を感じることができた面白い作品だ」と手話通訳の方に通訳してもらう。まずは楽しんで貰えたことにホッとする。
さて、ここからが本番。チェックしたところを見直していく。生まれながらにして聴こえない方は、映像を通して大雑把に状況を把握していればOKというスタンス。文字情報は必要最低限で大丈夫、とあっさりしている。元々聴こえていた方は音の情報はできるだけ入れて欲しいと考えているため、丁寧な情報保証が必要だという。聴こえない、にも程度の差がある。それぞれの意見を聞きながら言葉を決めていく。
長い作業も終わりにさしかかり、あと一息となった時、意見が大きく分かれた。それはエンディングで流れている音楽の英語の歌詞を伝える部分で、本編には訳詞が既に映像に乗せてあるけれど、繰り返し歌われている部分の訳詞は省略してあった。ひとりは、ざっくりと把握できればOKの意見。もうひとりは、英語で歌われているのであれば、全て文字で表現して欲しいという意見。
意見は平行線のままだったが、それぞれの意見をしっかりと汲み取ることに時間を割き、その場では結論は出さず、字幕制作スタッフが落とし所を決めることになった。13時に始まったモニター会は終わってみれば予定より2時間オーバーの19時。この時間まで集中力を切らさず、全ての意見を根気強く拾い上げるスタッフには感謝しかなかった。後日、最終のデータが送られてきた。細かいタイミングなどの修正を加え、ようやくバリアフリー日本語字幕版の完成に漕ぎ着けることができた。ふぅ。ここで深呼吸。
(後編)につづく