「空き家と向き合うとき、何を感じたか?」
vol. 4 2025-02-26 0
本日のテーマ:「空き家と向き合うとき、何を感じたか?」
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◆ 初めて空き家に足を踏み入れたときの感覚
大学時代、私は福富町で空き家や古民家の研究をしていました。
その頃、いくつもの空き家を見させてもらう機会がありましたが、最初に強く印象に残ったのは 「時間が止まっている」 という感覚でした。
木造の家特有の香りがふわっと漂い、土壁の匂いが残る空間。
そこには、かつて誰かが暮らしていた形跡がたくさんあるのに、もう何年も人の気配がない。
ただの「空っぽの家」というよりも、まるで 誰かを待っているような、寂しげな佇まい に思えました。
特に、ロケーションの良い場所にある空き家ほど、その 「内と外のギャップ」 を強く感じました。
例えば、美しい山並みを望む立地や、風の通り抜ける高台にある家。
そこに立つと、景色はこんなに豊かで、風は気持ちよくて、「ここに住みたい」と思えるような場所なのに、家の中はひんやりとして静かで、まるで時間に取り残されてしまったような空気が流れていました。
「こんなにいい場所にいるのに、どうして君は寂しそうなんだろう?」
そんなふうに、空き家が何かを語りかけてくるような感覚がありました。
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◆ 建物が持つエネルギーの違い
空き家を見続けていくうちに、私は 「建物が持つエネルギー」 の違いを感じるようになりました。
戦後に建てられた住宅は、どちらかというと 「消費の財」 という性格が強い。
つまり、ある程度の年数が経てば、取り壊して新しくすることが前提になっているようなつくりが多い。
そのためか、長く放置されていると、どこか 「役目を終えてしまったもの」 という雰囲気を感じることがありました。
一方で、築100年以上の古民家は、その存在感がまるで違いました。
何百年も生き続けることを前提に、職人の技で丁寧につくられ、木材も時間をかけて選ばれたものが使われている。
だからこそ、そこには 「ただの建物ではなく、長い時間を積み重ねてきた“生命力”」 のようなものが宿っているように感じました。
古民家に入ると、静かだけど不思議と落ち着く。
ひんやりしているけれど、どこか守られているような気持ちになる。
それは、家そのものが長い年月を経て培ってきた「場の力」なのかもしれません。
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◆ 空き家は、どうあるべきなのか?
私は、「空き家はすべて残すべき」とは思っていません。
ただ、すべてを壊せばいいとも思っていません。
空き家が、かつて誰かの暮らしを支え、地域に根ざしてきた存在である以上、「そのまま放置することが一番悲しい」と感じます。
生かすなら、生かす。
畳むなら、畳む。
どんな形であれ、空き家が 「ここにあった意味」 を大切にしながら、もう一度役割を持たせてあげられる社会でありたい。
古民家の持つ力を活かしながら、再び命を吹き込むこと。
現代の住宅は、新たな価値を与えながら循環させていくこと。
そのために、不動産という仕組みを使って、地域の資産を次につなぐ方法をつくっていきたい。
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◆ 現在の進捗
・支援金額:541,000円(54%達成)
・支援者数:44人
・終了まであと28日
このクラウドファンディングを通じて、
田舎の風景の中に、もう一度人が集まる場所を増やしたい。
空き家を未来につなぐ、新しい方法を広げていきたい。