【前編「池亀さん〜大石さん」】流行りの「ZOOM飲み」で平井がアレコレ聞いてみた
vol. 49 2020-04-27 0
劇場職員の平井です。同僚の井上さんと同じ最年少の職員として、最年少なのを良いことに色々とワガママを言わせてもらいながら、のびのびと働かせてもらっています。
私は、主には事務仕事や、映像関係の劇場業務にタッチしています。劇場で編集済みの動画が出ていたら、だいたい私が関与しています。
自分では「尾鳥ひあり」というグループを運営していて、また「FUKAIPRODUCE羽衣」というミドルエイジな劇団で、作家部(消滅したという噂もあり)として所属もしています。
私はそれから夜中に読むような、陰気なようですが、沈み込んだ詩が好きです。なるべくダラダラしているものだとダラダラしているほど良く、そういうところでその人自身の本性に触れられる、手玉に取られてこちらをコントロールするのではない、等身大の人の姿に触れられるような錯覚を覚えます。
私の自己紹介はこの辺りとして、
今回は、流行りのZOOM飲みを同僚たちとして、
そこで見聞きしたことを書いていきます。
ここでも極私的に、私の中の劇場職員を屈託なく文字で表していけたらと思います。
「演劇のどんなところがお好きですか?」という質問だけ(人によっては演劇が好きなわけじゃないかもという方もいましたが)共通でお訪ねし、
あとは元来の目的通り、画面越しにも飲み屋の感じでお話ししました。
○池亀三太さん
池亀さんは私にとって、特に謎というか、気になるところの多い方でした。
というのも、私が池亀さんを初めて知ったのは19歳の時で、現在ご自身で主宰される「マチルダアパルトマン」の前に結成されていた「ぬいぐるみハンター」という劇団の公演を拝見し、とても愉快に感じたところからになります。
その年、私はそう少なくない本数の観劇をしていた自覚もありますが、友人に「劇団として、今年観た団体の中で、一番素敵な集団だなと感じたのはぬいぐるみハンターというところ」と話してみせるくらい、多感な時期の私にとって特異な存在でした。
一方で、年間8本公演をしたり、下北沢界隈の劇場から急に吉祥寺シアターで公演したり、話題に事欠かないデータベースは検索してヒットしてきましたが、その割にインタビュー記事などの公開は少なく、「これは拘りの強いアート集団に違いない」と訝しんだりしていました。
私が下北沢で初めてぬいぐるみハンターを観た直後くらいに、素敵な集団だと思っていたぬいぐるみハンターの劇団員が1人だけになったと聞き、私は「どんな新陳代謝で進んでいるのだ?」とますます演劇界で活動する先人の感覚に異常なぶっ飛んだものを予感するようにもなりました。
それから、今は劇場の温和な象徴というか、とても柔らかい印象を覚えさせる池亀さんではありますが、もう少し年上の演劇世代の業界人に池亀さんの話を聞くと「昔尖り過ぎていた」「誰かれ構わず喧嘩腰で絡んでいっていた」という、少し取り扱い危険物を扱うような態度に直面しました。私の中で池亀さんの「知られ方」というのがあまりに多種多様で、「任天堂のゲームといえば?」というのが小さな世代のズレで根本的に違っているような、大手事業のような貫禄と、演劇歴としては若手の部類からそう離れていないプロフィールの振れ幅に、ドーピング選手のような効率優先主義な面もあるのか? とよく分からない矛盾したような解釈で、バグキャラのように感じられていました。
インタビューをしていて特に感じたのは、池亀さんという人は、闘争本能を連想させるような(全力)疾走感と、固執せず、演劇と自分たちを俯瞰視して位置づけ続けているクレバーさの、バランス感覚にとても優れている方という事でした。
お笑い芸人を目指して上京されてきて、もともと宮藤官九郎さんの「木更津キャッツアイ」に熱烈なファンで、そこから宮藤官九郎さん、大人計画さん、松尾スズキさんとそれぞれの記事が掲載されている雑誌を読み漁ってきたという池亀さんは、文化の町 下北沢にお住まいを構えられたとの事です。
笑い、について、パフォーマーというだけの要素にこだわらず、好きな笑いとの付き合い方を追究していった時期に、たまたま歩いていた下北沢の町で「出演者募集」の張り紙を見かけられて出演するに至った池亀さんは、舞台の可能性と元々好きだった事、何かをやる意味を自身の中で重ね合わせて、演劇活動とお笑い活動を平行し、ゆくゆく劇団に専念なさるようになったとの事です。
ただ最初は演劇のいろはも分からず、募集して集まった人達も全員演劇未経験者だったとの事ですから、演劇の素地のある知り合いを呼んでくるという集客システムも働きづらく、とにかく「走り尽くすしかない」という旨の考えに至ったそうです。
その上で、その時その時で分かってきた事、見えてきた景色があった時に、「どうやら演劇界には客演という制度があるらしい」と知って、一旦劇団を休止し劇団員それぞれがそれぞれの地で経験を盗んでくるという修行の期間もあったそうです。シャボンディ諸島で2年後の再開を約束したワンピースの麦わら海賊団を思わせました。麦わら海賊団も作中の他の海賊団からすると理解不能に思われているような描写がありますが、読者としては彼らにもすごく太くて真っすぐな芯が伸びていて、熱いのとブレない強さを感じます。お話しながら、私は池亀さんの活動にも同じようなところを感じていました。
東京の実際の演劇事情と、自分がしたい創作を重ね合わせて、生活と共にある演劇を指向されているというお話にもとてもシンパシーを覚えました。東京の土地柄というものへの固執が薄く、全国どこの地も対象にする全国巡業公演を目するとでも言うような、指針には、ご自身の笑いであったり、個人の創作のありかに固執せず、みんなと会う事の出来る場として作用し続ける演劇が、池亀さんの中で昔から一貫して合理的に取り扱われていると感じました。
○モラルさん
2013年の劇場職員募集の際に、今は劇場OBである佐々木琢さんと一緒に劇場へ入ってきました。芸術監督「玉山さん時代」「北川さん時代」「池亀さん時代」、3つの時代を経て、れっきとした「劇場の生き字引」にもなっているモラルさんです。「劇場としてどうしていくべきなのか」なんて話が出た時に、モラルさんの言葉はいつも芯を捉えて打ちます。
モラルさんは、2018年に自身の劇団「犬と串」を活動休止され、今は様々な現場で脚本を書いています。「あの番組の!?」というものも書かれていたり、脚本家という面でも、先輩として劇場の先陣を切っている印象です。
いつの時にも、世相をご自身なりに理解して、きちんと向き合って、その上でしっかり戦略を持って臨もうとなさっているのだなと感じました。そこには、快い上昇志向も、周囲の人間に対してのモラルさんのやさしさを如実に表している面でもあると思います。
もちろん好きなものや面白いと思われるものをお作りになられていたという上で、犬と串時代にも、今の演劇界が「こういったものもの」であるからと、そこに対峙していく姿勢で、常に毎公演を区切りに、都度戦略を練ってこられたとの事です。
モラルさんのお話からは、クリエイティブな仕事は、クレバーな事と共存しているのだなと、緊張感というか、身が引き締まる思いにさせられます。
現在でも野心は留まらず、常に先鋭的かつ普遍的な流儀を持った上で、またその流儀を生きている限り持ち続けたいと考えられているそうです。
数多いる素晴らしい脚本家の先人たちに対して、ご自身も「モラルさんの作品」だと周囲にも認知されるような形で、金字塔を作りたいとおっしゃられ、なんだかグサッと私自身にも刺さるところがありました。
「過程は過程で、結果は結果で、何をしたいかという事はその時にならないとはっきりしないが、それでもいつも流儀は貫いていたい」という旨のお話が、特に私の肌感に残りました。
演劇は、異種格闘技戦のようだとおっしゃっていました。瞬間瞬間で、様々の武器や戦法を持ち寄って、体を使って盛り上げていくものだからです。好き度で言うと、生まれ変わったら格闘家になりたいくらいだとの事です。私も生まれ変わったら大相撲の横綱になりたいと小さな頃から思っているので、そうしたライブ感に演劇を重ね合せる、ワクワクする感動には、共感する部分があります。
○黒太剛亮さん
技術監督の黒太さんは、(これまで黒太さんが書かれた劇場のコラムにもある通り)技術監督に就任される以前から、この劇場とは縁深かったとの事です。座組スタッフとしての出入りが多々あったとの事で、
そのうちに、当時から職員だったモラルさんや北川さんたちとの絆も深め、満を辞して4年前、この劇場が「花まる学習会王子小劇場」に名前を変えるちょうど変革期に、王子スタッフとなりました。
黒太さんは照明の仕事を、絶える事なく、ある意味で常にリアリティある「仕事」としてやり続けてきた方です。大学を中退した時点でも、独立した時点でも、照明業の就職先や、得られる仕事があった上で、有効な選択肢として、やはり満を持してそれぞれアクションなさいました。大胆な行動を現実に直結させるのは、ただ闇雲にという事ではなく、知的な行動力のなせる業だと感じます。
一方で、照明に携わるきっかけは、大学入学ひいてはその照明科に入った事で、特にそれまで、演劇に深い関心があったわけではなかったというのも面白く感じました。というのも、どこの大学に行こうかというところで、ご家族の勧めで日本大学芸術学科へ入学しようとお考えになり、関与できそうなジャンルが「照明科」であったから進んだという黒太さんは、そこで照明が楽しい、手につける職にできると考えられました。その後も、常にお仕事を抱え、照明をリアルな仕事として傍に寄せ続けました。なんだか恋のなれそめを聞いているような、黒太さんと照明の距離感です。
黒太さんは、焦らず、時には待ち、時が来たら「それ」というものを力強く掴んで、一緒に邁進なされてきた方だという印象を持ちました。
あと、オンライン通話中、絶えず画面に登場する娘さんが、とても可愛らしく、私の乾いた生活に一滴二滴の潤いがもたらされました。この記事を書いている途中にも、その成長の最新情報を聞けたりして、職員一同で娘さんの成長を楽しみにもしています。
良いお父さんだなと、軽い意味ではなく感じるとともに、そういう面でも私の中の一つの、モデルケース的というか、人間としてリスペクトを覚えるばかりです。
演劇と生活がともにある、それぞれにリアリティのある、真摯で素敵な人です。
○守利郁弥さん
守利さんは元々デザインの能力に長けており、職員になる前からよく劇場事務所を出入りされていました。そのまま職員との交流を含め、外部のデザイナーという立場から、一職員へとステップインなさってきました。
守利さんはご自身の箱庭的な世界観というか、幼い頃から多様なジャンルに触れられ、そこで築かれた「居心地の良い世界」を好んでいるそうです。それはある意味で、現実とは違いながらも、現実とすごく密接しており、より整えられたご自身の環境で、その世界を構成すべく創作を続ける生き方をされております。
その、考える事と、色々な素敵な古本屋や雑貨で、インスピレーションを好きに取り入れる姿勢は、表現者としてはっきり「生きている」人だなと感じました。
密なコミュニケーションだったり、相互理解を得るのが困難なのが世の中ですから、容易な道ではありませんが、
ときに木陰で、ハンモックに揺られるような時間も取り入れながら、創作と人生を整えていかれているようです。
とにかく「物を作るのが好きなのだ」という守利さんからは、「悲哀も湛えている少年」のような格好良さもたびたび感じます。ユーモアがわかるという事は、その人なりに人間をわかっていないと出来ない事でもあり、
どこか郷愁じみた懐かしさを携える、ユニークな劇場企画をディレクションする姿勢も、私には筋が通っていると見えて、その都度人としての刺激を受けております。
演劇・舞台では様々な分野から物事を取り入れられ、理想の世界を、限られた経済力の中でも、アイデア一身で作り上げられる面が、ご自身における演劇作品の魅力的だと語ってくださいました。色々なものを比喩化したり増長させたりも出来る劇世界を、こういうのも軽いようで恐れ多いですが、愛しているのだなと感じました。私が見るのが好きな、さながら老夫婦の関係のようにも守利さんと演劇の関係は感じられます。
営みと創作が結びついているわけで、お聞きする話題もそういったところで、興味をそそられるものばかりでした。
コンドルズを始め、数多のパフォーマンスから舞台のアイデンティティを吸収された守利さんの劇世界は、空想的でありながら、これからも舞台の床面や天井とも密接に繋がり切った、一種の強靭で哀愁に満ちた世界が構成されていくのだろうと思われます。
○大石晟雄さん
大石さんはすごい人です。それを一口に語るのは適いませんが、きっと大石さんと話した人みんなが揃って同じ部分を感じるのだろうというところに、そのすごさの一端はあります。是非一度お会いして、お話を聞いてみてください。
少年的なビジネスマンの意見、というふうに感じる場面が、大石さんと話していると私には多々あります。とても熱くてきらきらとしていて、それでいてこだわりの強い企画プランを抱えていて、そこが良い意味で曲がらないから、話がビルド&スクラップを繰り返します。議題こそ、長距離走的なお話に展開していく事も、ままあります。それが、小学生の頃に作っていた、仲間との秘密基地づくりを私に連想させて、楽しい人だなあと都度感じさせます。
創作の面では、そこで起こる現象自体に、道理を固めており、すごく清潔な環境に居心地の良さを感じるのだろうという、人の良さも話していて伝わってきます。言いようによっては、潔癖症のクリエイターという印象も併せ持ちます。
物語がとにかくお好きで、特に演劇は、物語と自分の座組での居方が、シビアにリンクし、色々な人と集まって作っていった末に、肯定される感じがあるとの旨をお話ししてくださいました。報われる、というワードが、私にとって印象的でした。
その姿勢は、大石さんの主宰される劇団晴天においても、隅まで発揮されているように感じます。人間臭さを充満に及ばせながら、きっと誰も大石さんをそこでダサいと感じる事がないのだと思います。そういったすごさがあります。
クールな視点もありつつ、集団を形成し、大石さんの良い作品を上演するベクトルに指針を持っている集団は、それぞれが見通しの良い、これからの事を考えやすい環境で、公演に気兼ねなく全力を注げる事でしょう。
そうした大石さんシステムのフラットさには、例えば演劇の話が劇場の話にであったり、全てに適応されるのではないという心配症状も含まれていて、理論を一緒くたにしない面にも、大石さんへ好感を覚えてなりません。
大変な生き方だとは思いますが対等に、千差万別、それぞれごとにカテゴライズされた愛情を、いつも大石さんなりに提供してくれます。
それって、色々な摩擦があっても、愛を諦めないような、繰り返すようですが、とても大変な生き方です。それで、すごい人だなと私は感じてやまないのです。
オンライン通話では特に大石さんのフラットにものを考える側面に触れる時間が長く、重厚というかたくさんの核を体に宿している方だと、ひたすら投げつけられました。
目の前で人が反応する、という時に、舞台や企画の達成感であったり、報われる感情が鮮やかに咲くという大石さんは、最後までたっぷり演劇の人だなと感じます。
後編に続きます。