パルバティ・バウル映像制作CF残り29日です。
vol. 4 2018-05-17 0
パルバティってどんな人?
パルバティってどんな人なのか、なかなか一言では言えませんが、彼女との出会いを語ると少しはその人柄が伝わるかもしれません。彼女と私は、ちょっと現代では考えられないような出会い方をしました。
どんな出会いだと思いますか?「①彼女が私の家に突然住みたいといいに来た②電車で隣り合わせになった③食堂で向かいに座った」さて、どれでしょう~。答えは①の「彼女が私の家に突然住みたいといいに来た」です。それも手に花を持って…ちょっと今の感覚で考えると、「突然に一緒に住みたい」と言いに来た人に即「YES」と答える人は「現代人失格」でしょうね。(笑)私も「どこから来たの?」とか「お金ないの?」とか一切聞きませんでした。もちろん色々話してはくれたのですが。一緒に住んだ理由は「この子なら大丈夫だな~」と思っただけです。いわゆる「勘」というのでしょうが…その「勘」から26年間、付き合ってきました。
26年の歳月が変えたもの、変えなかったもの
26年の歳月は、お互いを変えた、とも変えなかった、とも言えます。彼女と出会った時、彼女は毎日スケッチに励む画学生でした。私は留学生とは言うもののヒンディー語外国人コースに在籍する遊学生でした。バウルにすらなっていないパルバティと、将来を具体的に描けずに迷っていた若い私。正確に言うと「パルバティ」はバウルになってからつけられた名前なので、彼女はまだ「パルバティ」にすらなっていなかった。そういう意味では、お互いに本当に大きく変わりました。しかしお互いに『何者でもない』のにも関わらず、「この人なら一緒に住める」と感じたコアともいえる信頼関係は変わっていません。
ショホジで築いた関係?
そういうことでいえば、私たちはその時とても「ショホジ」だったのかもしれません。「ショホジ」とはベンガル語で「自然な」とか「あるがまま」といった意味を表し、バウルの理想とするものです。性別、国籍、年齢、宗教等は全く関係なく「人間のあるがまま」を生かす生き方とされます。当時、お互いに、生まれも年齢も国籍も全然異なっていたにも関わらず、私たちは無防備すぎる程「ショホジ」でした。意識的に目指したことではないですが、その自然さが私たちを結びつけたのかな、と思います。
サンタル族の子どもと遊ぶ出会った頃のパルバティ(モウシュミー:名前)
その延長線上に今と映画があります
その延長線上に来日公演とクラウドファンディング、そして映像製作があります。そんな関係性も出てくる映像になると思います。
ご協力いただいたみなさん、ありがとうございました。
まだの方はぜひ、ご協力、御支援、どうぞよろしくお願いします。
来日ドキュメンタリーDVD製作プロジェクト