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インドの吟遊詩人パルバティ・バウル来日ドキュメンタリーをクラウドファンディングで実現!
「バウル」という歌い踊る行者になったインドの友人。なぜ彼女は「バウル」になったのか?彼女が目指す「ショホジ(自然な)」生き方とは?そしてバウルの道を歩む彼女の見つめる先にあるものは?
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1992年3年有効のヴィザを持ってインドへ。インドのビハール州に伝わるミティラー画に魅せられ、画家の家族と共に村に滞在。その後、西ベンガル州シャンティニケタンのタゴール国際大学へ。そこで同大学に入学前のパルバティ・バウルに出会う。寮に入れず住む家に困っていた彼女と大学入学までの1年間ルームシェア。以来、友人関係を30年以上結んでいる。 現在は映像製作者としてNHKBSの『日本の名峰』『にっぽん心の仏像』『グレートサミッツ』『にっぽん百名山』『井川遥 スープひとくちの幸せ』『朝ごはんLab.』などの作品多数。著作として、『インド櫻子ひとり旅』(木犀社)。2018年サキプロとして活動を開始。
「バウル」という歌い踊る行者になったインドの友人。なぜ彼女は「バウル」になったのか?彼女が目指す「ショホジ(自然な)」生き方とは?そしてバウルの道を歩む彼女の見つめる先にあるものは?
「にっぽん百名山」のディレクター阿部櫻子です。2018年6月、26年来の友人であるインド人パルバティ・バウルが来日し公演ツアーを行います。彼女は歌い舞い踊る修行者であるバウルで、今までに40カ国を越える国々に招待され公演を行っています。今回パルバティ・バウルは東京3公演、京都、岐阜県郡上市、浜松市の計6公演を行い約2週間にわたって日本に滞在します。私は友人でもあるパルバティ・バウルのこの来日ツアーの様子をドキュメンタリーDVD「The Path ~バウルとして生きる~」として製作したいと思っています。
「にっぽん百名山」ロケ中の阿部櫻子
彼女と出会ったのはずっと昔。私は4年にも及ぶインド滞在のさなかでした。
ここでまず私、阿部櫻子の自己紹介をします。
ヒンディー語を習っていた私は1992年、インドの民衆画ミティラー画に魅せられインドを旅しました。インド東部の西ベンガル州シャンティニケタンのタゴール国際大学で同大学入学前のパルバティ・バウルに出会い、寮に入れず住む家に困っていた彼女と大学入学までの1年間ルームシェアをしました。以来、26年に渡り、友人として交流を続けています。インドからの帰国後は、縁あって映像製作者となり、NHK・BSの『日本の名峰』、『にっぽん心の仏像』、『グレートサミッツ』、『にっぽん百名山』、『井川遥 スープひとくちの幸せ』、『井川遥 驚きのみそ汁 一杯の幸せな旅』などの作品を手がけました。またユーラシア大陸の文化に特化したギャラリー「DEEPDAN」を東京・下北沢に開廊し、ユーラシア各国の文化を写真や絵画などを通して広く紹介しています。2009年には『インド櫻子ひとり旅―芸術の大地』(木犀社)を上梓し、四年に及んだインドでの日々を描き、ラクシュミーとの仮名を使ってバウルになる前のパルバティ・バウルとの日々を綴りました。
そんな彼女が日本にやって来ます。今回のドキュメンタリー製作で友人でもあるパルバティ・バウル自身にフォーカス出来ることに、喜びとともに多少の緊張も覚えています。
それでは、次に私とパルバティ・バウル、二人の出会いを物語風にお話いたします。
1992年、インド西ベンガル州の大学町で、15歳で家出をしたベンガル人少女と、インドに憧れを抱き留学生活を送っていた私、阿部櫻子が出会い、ひょんなことから二人の共同生活が始まりました…
阿部櫻子と出会った頃のモウシュミ(のちのパルバティ・バウル)
画家を目指していたベンガル人少女は毎日絵を描いてましたが、ある時から突如として、歌い舞い踊る行者と呼ばれる、バウルの道を歩みはじめました。そして修行を重ね「パルバティ・バウル」の名を得て、世界を公演してまわるほどになったのです。私は民衆画や入れ墨などインドの文化に惹かれ、あちこちをまわるうちにインド滞在は計四年にも及びました。
日本への帰国後、私は映像製作者になり、2009年には書籍「インド櫻子ひとり旅」を上梓しました。そこでは私のインドでの日々や、ラクシュミーと仮名を使って、「パルバティ・バウル」と過ごした日々もつづられています。
月日は流れ、出会ってからの26年という歳月はそれぞれの居場所と役目をあたえ、離れていながらも私たち二人の間柄もより信頼に満ちたものになりました。
師匠たちからバウルの伝統を次世代に伝えるという重要な使命を託されて世界中を駆け回って多くの人を魅了し、バウルの伝統を体現し続けるパルバティ・バウル。
インドでの旅の経験を生かし映像製作者となり、「グレートサミッツ」や「にっぽん百名山」など極地での撮影を作品にしてきた私、阿部櫻子。
2018年6月、私と仲間による「バウルの響き」制作実行委員会の招聘によりパルバティ・バウルが来日しツアーを行います。
「26年前」にインドで一つ屋根の下暮らした二人が、「26年後」の今年、今度は日本での公演ツアーの約二週間を一緒に過ごします。
一人の女子学生が生き方を変え、その道を歩むようになったバウルとは一体何なのでしょうか?
バウルはインドの西ベンガル州及びバングラデシュ(ベンガル地方)の遊行の行者。独特の哲学を反映した詩を歌い、舞い踊ります。「放浪の吟遊詩人」とも呼ばれ、その精神的な祖先は、8世紀の仏教遊行僧の詩集、「チャリャー・ギーティ[遊行者の歌]」にもみられ、仏教やイスラム神秘主義、ヒンドゥーなど、様々な伝統の影響を受けながら、どの宗派宗教にも属さず、師弟相伝で受け継がれて来たといわれます。人間の身体にこそ神が宿ると考え、その独特で深遠な詩の世界はアジア初のノーベル文学賞受賞者であるタゴールや歌手ボブ・ディランにも影響を与え、2005年にはUNESCO無形文化遺産に登録されました。
師とともに 左からパルバティ・バウル、ショシャンコ・ゴシャイ、ゴシャイ・マ
パルバティ・バウルは現在、世界的に最も知られているバウルの一人。二人の師、故ショナトン・ダス・バウルと故ショシャンコ・ゴシャイの許で厳しい修行を終え、バウルの音楽と精神の次世代への継承を託されました。現在は世界各国を旅してバウルの伝統を世界へと伝え、次世代へとつないでいます。阿部櫻子と出会ったのは、バウルの修行に入る前の1992年。詩聖タゴールが作った大学町シャンティニケタンにて、芸術学部受験準備の浪人時代に1年間共同生活を送り、以後、26年間交友関係を続けて現在に至ります。
パルバティ・バウルのライブ映像
そもそも人間としてもとても魅力のあるパルバティ・バウル。一緒に暮らしていた時も、型にはまらない言動や自由な考え方で周りの人間を惹きつけていました。そういったある種のカリスマ性ももちろん撮りたい理由の一つですが、さらに以下の二点が挙げられます。
① どうして彼女はバウルになったのか?
実は私は彼女の口から、なぜバウルになったかのという話をきいたことはありません。一緒に生活をしていて突然バウルになった時も、彼女がやろうとすることは無条件に応援してあげたいと思い、何も聞かずに私はただそっと彼女の背中を押してきました。ただ私の中では、「ゴッホのような画家になる」のが「夢」だと語っていた彼女が行者を目指したことに戸惑いは感じていました。
こうしてバウルの道を歩み始めた彼女はすぐさま頭角をあらわし、当時名だたるバウルであった二人の師匠から後継者としてバウルの伝統を託されました。そのうちの一人の師ショナトン・ダスからは「お前はインド国外にもバウルの種をまけ」との言葉を頂きました。インドの伝統において師とは、弟子の天分を見分け、それにあった指導・助言をします。ベンガル地方でベンガル語で育まれてきたバウルの伝統を、ベンガル語が話されることもない海外の異なる文化圏へ伝えることを使命として託されたパルバティ・バウル。師は弟子である彼女に一体なにを感じ、そう命じたのでしょうか?パルバティ・バウルの海外公演ではベンガル語による彼女の歌を聴いた観衆が言葉の意味は分からずとも、涙を流すというのはよく見られる光景です。私はそこには彼女がバウルの道を歩むようになった理由の一つがあるのだと思っています。バウルは自らの修行について、詩にして歌います。歌い、舞い、踊ることも修行そのもの。全てを大いなるものに捧げて歌う。あどけない少女だった彼女がバウルの道を歩んだ理由も、今なお歌い続け、ベンガル語を理解しない人たちをも魅了する彼女の姿を見ればわかるのではないか?私はパルバティ・バウルの姿とともに、日本で公演を観て下さる観客の皆さんの反応もカメラにおさめ、彼女がバウルになった理由を浮き彫りにできればと思っています。
(左)友人と談笑するモウシュミ(のちのパルバティ・バウル)
② バウルのいう「ショホジ」とは?
冒頭の動画でパルバティ・バウルがインタビューに答えているように、バウルの思想では国や宗教、貧富の差、階級、性別などは重要ではありません。こういう既存の枠組みにとらわれない考え方は、既成概念や思考の枠組みが変わりつつある現代においては大きな意味をもつ事です。バウルがいう「ショホジ」というベンガル語。「自然な」、「シンプルな」という意味ですが、バウルは人間の身体にこそ神が宿ると考えます。宗教や階級、貧富の差や性別にとらわれることなく、ただひたすらに「人間としてあるがまま」であろうとするバウルの信念がここに感じられます。このバウルが理想とする「ショホジ」な生き方とは何なのか?そこには私たちの生き方を見つめ直すヒントがあるのではないかと私は思います。パルバティ・バウルは「日本とバウルの伝統の間には何かしら共通性を感じる」と言っています。私たちの新たな生き方への道しるべになるかもしれない「ショホジ」という言葉について、パルバティ・バウルを通して迫ってみたいと思っています。
阿部櫻子からのご挨拶とお願い
今まで主にTV向けの番組を製作してきた私ですが、今回なぜクラウドファンディングで資金を募っての製作を選んだのか?その理由を説明します。
私の中で一番大切にしたいものはやはりなんといっても「パルバティ・バウルと私の友人関係」です。大きなメディアで製作資金を頂くとそれがテレビ局や制作会社などどこであれ、「こう作ってほしい」とか「こうバウルを描いて欲しい」といった注文が必ず出てきます。お金を出しているから当然ではありますが、今回のプロジェクトに関しては、「私たち2人の関係を一番大切にしたい」と思い、撮影に関する全ての意思決定を自分たちだけで行い自由なカタチで製作できるよう「クラウドファンディング」という手段を選びました。また今回の撮影素材は今後の作品作りにも必要になるかも知れないので、映像の権利は私とパルバティ・バウルの双方で持ちたいと思っているのも理由の一つです。
交通費・宿泊費 20万円
機材費・撮影スタッフ人件費 80万円
ポスプロ費用、DVDプレス代・その他リターン購入費・送料、モーションギャラリー手数料など 50万円
ドキュメンタリーDVD「The Path ~バウルとして生きる~」製作へご支援頂いた方々(コレクター)への御礼に以下のリターンを用意しました。私が経営するギャラリー「Deepdan」のコレクションや出版物など盛りだくさんです!このプロジェクトのための特注品もあるのでまだ画像がないものもありますが、サンプル写真が準備出来次第アップデートにてお見せいたします。
【阿部櫻子からのお礼メール】
阿部櫻子がご支援者に対して心を込めて御礼メールを送ります。
【エンドロールにお名前の掲載】
ご支援者の皆さんのお名前を掲載いたします。(掲載名は本名でなくてもOKです!)
【完成品DVD 「The Path ~バウルとして生きる~」の完成品DVDです!】
今回のプロジェクトの目的であるパルバティ・バウル来日ツアーのDVDです。公演ばかりでなく、なぜ「画家になる夢を捨てバウルになったのか」、バウルの理想とする「ショホジ」とは?ということを日本の文化と背景を意識しながら、紐解いてゆくドキュメンタリーです。このプロジェクトの全ての支援者にお届けします!
【阿部櫻子撮影のベンガル・ポストカード(3枚セット)】
阿部櫻子が1990年代に撮影した、バウルの伝統を育んだ西ベンガル州コルカタとビルブム地区の田園風景のポストカード3枚セット。バウルが暮らすベンガルの風土と文化が垣間見えてきます。
【インド ガラス絵の世界」カタログ(2018年3月Deepdanにて開催の同名展示のカタログ】
石版画や印刷技術が普及する前の19世紀の半ばから後半にかけて、インドにガラス絵と呼ばれる世にも不思議な大衆宗教画が普及しました。王朝文化の栄えた北インドのラクナウや、南インドのタンジョール、西はマハーラーシュトラやラージャスターンなど、インド全国でガラス絵人気は高まったものの、印刷技術が広まるとあっという間に衰退の道を辿りました。ガラス絵という性質からも大変貴重で、DEEPDANの発行したこのカタログは、インドの方からも大変貴重なコレクションであるとお墨付きを頂いています。このプロジェクトならではの特典で手に入りにくい品です。
「インド ガラス絵の世界」カタログ(B5サイズ、20ページ)
【シャンティニケタン名産、革財布】
パルバティ・バウルと出会い暮らしたシャンティニケタン近郊は革細工でも知られるところ。鳥や象、ラクダといった動物柄と明るい色の組合せが可愛いと人気です。そのため、この地域に住む人たちの多くがこの革財布を使っているとか。世代を越えて使いやすいと評判の品をこのプロジェクトのために特別に発注します。
【ベンガル産シルクスカーフ】
手触りがよく、伝統的なベンガル地方の色と柄の組合せが非常に洗練されていると評判のベンガルスカーフ。すべて手織りのハンドルーム製品で一点一点微妙に異なり、同じものは一つとしてありません。このプロジェクトのために発注する特別なスカーフです。
シルクスカーフ(色やデザインは実際のものと異なる場合があります)
【インド櫻子ひとり旅、サイン付き】
阿部櫻子の著書「インド櫻子ひとり旅」。あどけなさの残る15才のパルバティ・バウルと出会った時の様子をラクシュミーと仮名を使って描いています。若き姿から今を想像してみるのも楽しいかもしれません。「インド櫻子ひとり旅」は残り50冊。重版は予定されていないので、このプロジェクトが「インド櫻子ひとり旅」を手に入れる最後のチャンスになります。一度、手に取りたいと考えていらっしゃる方、ぜひこのリターンをお選びください。
阿部櫻子著「インド櫻子ひとり旅」
【完成試写会へご招待@Deepdan】
完成試写会は阿部櫻子が経営するギャラリーDEEPDAN(東京都世田谷区池ノ上)にて、2019年4月7日(日)15時から開かれる予定です。阿部櫻子自ら撮影・編集秘話などをお話いたします。プライベート空間ですので、チャイとインドのお菓子などでインド流におもてなしいたします!!
【カンタ(小)(大)】
カンタはベンガル地方で、使い古され柔かくなった白木綿の古布を重ねて刺し子にして、宗教モチーフや幸せをもたらす動植物、身の周りの道具などベンガルらしい図柄を刺繍で描いてきました。もともと家族の安寧を願って、一つ一つ心を込めて刺したもので、母親でもある職人たちが、家事の合間に時間をかけて作るものも多くあります。これもインドの西ベンガル州から特別に取り寄せてお届けします。
【インド・ナガ族のショール】
インド北東部に住むナガ族には数多くの部族があり、ショールの柄や色の使い方でお互いの部族を見分けてきたといわれています。このショールはライノンといわれる部族のもの。友人からもらい受け、なかなか市場に出回ることのない非常に貴重なものです。秋から冬にかけて、肌寒い時のひざ掛けなどにもぴったりです。
【カシミールのショール】
カシミールはインドでも最北部に位置し、昔から織物業の盛んなところでした。現在のショールは殆どが機械織になっているとはいえ、刺繡は今も一つひとつ丁寧に施され、どのショールも同じものはない一点ものです。ナガのショールは冬には少し寒いですが、カシミールショールは厚手で真冬でも寒さをしのげます。
【ゴンド画「木と鳥」1点、「鹿と木と鳥」1点、「ガネーシャ」(ナンクシヤ作)1点】
ゴンド画とは、インドの中央部にあるマディヤ・プラデーシュ州に住むゴンド族の神話や伝説に基づいて描かれた民俗画です。家に装飾を施す風習はあったものの、今世紀になってジャンガル・シンというひとりの独創的な村人の手によって紙の上に描かれるようになりました。今回は特別に、阿部が懇意にしていたジャンガル・シンの妻であるナンクシヤ・シャームの描いたゴンド画(大)ガネーシャとジャンガル・シンと親戚関係にある画家の「木と鳥」の絵、そしてジャンガル・シンと同じ村出身の画家の手による「鹿と木と鳥」をリターンとして特別にお届けします。
「木と鳥」
「鹿と木と鳥」
【サンタル・ポトゥア紙芝居 1点】
サンタル族とは、インドの西ベンガル州に住む先住民族。その居住地域はバウルの暮らす地域と重なります。今回用意したリターンは、サンタル族が死後の審判を描いたユニークな紙芝居でジャムポトと呼ばれています。紙芝居とは言うものの珍しい巻物状で、そこにサンタル族の墨と天然の顔料を使った素朴な絵が描かれています。最近は描かれることも少なくなった貴重なもので、今回は阿部櫻子コレクションの中から特別にお届けします。
【パルバティ・バウル作 版画(小サイズ)1点(大サイズ)1点】
パルバティ・バウルはもともと画家を目指していました。今でも絵を描いていますが「バウル」の表現の一つとして、バウルに関わる情景や思想を絵にしています。以前は絵を描くこと自体が「目的」でしたが、今は絵を描くことは「手段」となったようです。なぜこのような変化が生まれたのか?これもテーマの一つとしてDVD製作プロジェクトを進めて行こうと思っています。公演に忙しいパルバティにとって、新たな版画を刷ることはたいへんな労力と時間が必要です。彼女の版画を所有するというのは、金銭的な意味ばかりでなく、「絵に託された思いの深さ」という点からも非常に価値あるものです。パルバティの「バウルへの思い」を届けるという意味で彼女の版画をリターンに設定しました。
女性バウル達(版画、大サイズ、パルバティ・バウル作)
今回のパルバティ・バウル来日ツアー最終日は6/10、このプロジェクトの終了は6/14日23:59です。つまり撮影自体はプロジェクト終了前に始まって終わります。本来ならば、彼女の来日前にはプロジェクトを終了し、製作できるか否かと天命を待つべきではあるかと思います。しかし、今回このようなプロジェクト期間にした理由の一つは、このドキュメンタリーは、誰よりもまず、実際にパルバティ・バウルの公演を観て下さった方々に届けたいと思っているからなのです。パルバティ・バウルがどういう人物なのか?そして彼女が体現する「バウル」という伝統はいったいどういうものなのか?というのを感じてもらうには、やはり一人でも多くの人に実際に彼女のを公演を観てもらう方がよいと思っているからです。仮に、6月の彼女の来日公演までにプロジェクトが成功をしていなくても、一人でも多くの人がパルバティ・バウルの公演に「共鳴」し、プロジェクトの支援に手を挙げてもらえることを信じて撮影は開始します。これはリスクであり、とてもチャレンジなことではありますが、何があっても乗り切るという強い気持ちで撮影に向けて邁進したいと思っています。
ここまでこのプロジェクトをご覧いただきありがとうございました!
このドキュメンタリーを通して伝えたいこと。それはバウルのような既存の枠組みに縛られずに自由にあるがままに生きようとする生き方が今のこの日本にも強烈なメッセージになりうると思っているからです。それは「バウルの響き」制作実行委員会を結成して、パルバティ・バウルを招聘し日本ツアーを開催する理由とも重なります。彼女の魅力である慈愛、情熱、思慮深さは、歌ごえだけでも届きます。しかし、それが映像となった時、さらに皆さんの心にダイレクトに響くものと信じてやみません。彼女の歌ごえと映像が、バウルという稀有な伝統やパルバティ・バウル自身を育んだベンガルの風となって日本に吹き抜けるのを今から心待ちにしています。
皆さまのご支援、どうぞよろしくお願いいたします。
阿部櫻子
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