コラム-2「5人組 とチャイコフスキーは対立関係?!」
vol. 2 2017-12-05 0
昨日12/5、達成率50%を超えました!
皆さまからの応援を受け、確実にゴールへ近づいております。
引き続きよろしくお願いいたします。
季節的に寒さも重なり、ロシア熱が上がった方も多いのでは。
今年の忘年会は「ロシア料理」なあ~んていかがでしょう?
アップデート記事では選曲者の飯田有抄がアツく、可愛く、そして知識をたくさん盛り込んでロシア音楽の魅力をお伝えしていきます。
第2回は第1回にも登場した「ロシア5人組」のお話です(イラストもあります♡)。
サンクトペテルブルクの街並みの写真とともにお楽しみください。
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「5人組 とチャイコフスキーは対立関係?!」
前回のコラムでご紹介した「5人組」のメンバーを覚えていますか?
クラシック・ファンの人でも、5人の名をすらすらと思い出すのはちょっと難しいかもしれません。だれか一人くらい名前がどうしても出てこなくなりがち……キュイあたりが最後に残りそう(キュイ好きの方がいたら、ごめんなさい!)。
では復習です。キュイの他4名は?
リーダー格のバラキレフ、ボロディン、リムスキー=コルサコフ、ムソルグスキーでしたね。
彼らはロシアの民族色豊かな音楽を創作しようと、力強く立ち上がった作曲家集団でした。
注目したいのは、彼らは全員専門的に作曲を学んだわけではないということ。
さらにバラキレフ以外は皆いわゆるアマチュアの音楽家でした。ボロディンは化学者、ムソルグスキーは役人、キュイとリムスキー=コルサコフは軍人の顔も持っていたのです。
ではロシアで初めて音楽の専門教育をきちんと受け、プロの音楽家としてキャリアをスタートすることができたのは誰か。
それは、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840〜93)です。「ロシア音楽の作曲家」として浮かぶ名前の筆頭格ではないでしょうか。
チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」や「白鳥の湖」などのメロディーは、クラシック音楽ファンでなくても誰もが一度は耳にしたことがあるものでしょう。
ピアノ協奏曲第1番の堂々たる響き、鳥肌モノで盛り上がるヴァイオリン協奏曲も一度聴いたら忘れがたいインパクト。6曲の交響曲は名旋律に溢れ、とりわけ第5番や第6番「悲愴」はたいへん有名です。
今回のコンピレーションCD「濃厚、濃密! ロシア音楽の世界」制作が実現できた暁には、彼のメロディーメーカーとしての才能が眩しいほどに発揮されている交響曲第1番「冬の日の幻想」の第2楽章を入れたいと考えています♪ 胸にしみる朗々と響き渡る旋律は、ちょっぴり寂しさを漂わせる冬の景色を思わせると同時に、どこか懐かしさも感じさせてくれるでしょう。
では、そんなチャイコフスキーに専門教育を施し、プロとして大きく羽ばたかせたのは誰かというと、ルビンシテイン兄弟という人たちです。
あまり名前を聞かないかもしれませんが、実はこの兄弟、ロシア音楽の発展に大きな貢献をした人たちなのです。兄のアントンは、自らがドイツ留学で得た音楽経験を活かし、1862年にペテルブルク音楽院を設立。チャイコフスキーはその第一期生の生徒なのでした。弟のニコライは1866年にモスクワ音楽院を設立。兄の音楽院を卒業したチャイコフスキーを教授として迎え入れ、彼の作品の発表の場も設けました。この二つの音楽院はロシアの重要な作曲家ばかりでなく、優れた演奏家を続々と輩出して行くことになります。ぜひ覚えておいてください。
チャイコフスキーと「5人組」とは、実は同時代人なのです。しかし両者は音楽に対する姿勢が違っていました。5人組がロシアならではの民族性を力強く打ち出そうとしたのに対し、チャイコフスキーの音楽は抒情的で華やか。1860年代には、5人組の活動と、チャイコフスキーや西洋的音楽教育を施す音楽院側とは、激しく対立する立場にあったのです。
しかし、互いに意見交換し合うようになり、やがて融和へと向かったと言われています。