コラム-1「“ロシア音楽”の誕生」
vol. 1 2017-11-28 0
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こちらのアップデート記事ではコンピレーションCDの選曲者、飯田有抄が「ロシア音楽」の魅力を作曲家に焦点を当て、アツく、可愛く、そして知識をたくさん盛り込んでお伝えしていきます。
第1回はその「誕生」に目を向けました。
はじまり~はじまり~~
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「“ロシア音楽”の誕生」
「ロシア音楽」ということばを何気なく使っておりますが、よくよく考えてみれば広大なロシアの地にはさまざまな文化があるはずですし、クラシック音楽の作曲家にもそれぞれの創作姿勢や個性が豊かにあります。ですから、ひとくくりに「濃厚!」「分厚い!」などと一定のイメージを語ってしまうと、見落としてしまう魅力もあるかもしれません(私はさんざん言っていますが・汗)。そこでここでは少しずつ、個々の作曲家について焦点を当ててみたいと思います。
クラシック音楽の長い歴史を振り返ると、中世ルネサンス期の聖歌にその端を発し、17世紀にはイタリアでオペラが発展、18世紀にはフランスのヴェルサイユで宮廷音楽が生まれ、ドイツの教会ではJ.S.バッハの音楽が鳴り響いています。ところが、“ロシア音楽”と呼ぶに相応しいクラシック音楽作品が登場し始めるのは意外に遅いのです。なんと19世紀も半ばになってからのこと。フランスのパリではショパンやリストが華々しいピアノ文化を咲かせ始めていた時代です。
もちろん、それまでロシアに音楽文化がなかったわけではありません。ロシア正教の聖歌が力強く歌われていましたし、その土地土地に伝わる民謡もあります。しかし、支配的であったロシア正教に楽器を用いる風習がありませんでした。ですから、大衆的・民族的な音楽を除いては、ロシアにおける器楽音楽の文化、芸術音楽の発展は遅れをとったのです。
グリンカの家
そのような中で、「近代ロシア音楽の父」とよばれるミハイル・グリンカ(1804〜1857)が初めてロシア語によるオペラ「皇帝にささげた命」を作って大成功を収めました。
裕福な地主の家庭に生まれ、農奴たちの楽団による演奏を聴いて育った彼は、役所勤めを経て、ベルリンで音楽の専門教育を受けたのです。彼によって西洋のクラシック音楽の伝統がロシアに持ち込まれたのでした。オペラ「ルスランとリュドミラ」の序曲は、今日もよく演奏されています。
グリンカの家内部
さらに、グリンカの創出したロシア音楽の土台を発展させ、自分たちの国の音楽をもり立てて行こう!と立ち上がったのが、“力強い一団”と呼ばれる作曲家グループです。
彼らは「ロシア5人組」とも言われます。メンバーは、ミリー・バラキレフ(1837〜1910、ピアノ曲《イスラメイ》が有名)、ツェザール・キュイ(1835〜1918、オペラ《カフカースの捕虜》など)、アレクサンドル・ボロディン(1833〜1887、〈ポロヴェツ(だったん)人の踊り〉を含むオペラ《イーゴリ公》など)、ニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844〜1908、交響組曲《シェエラザード》が有名)、モデスト・ムソルグスキー(1839〜1881、組曲《展覧会の絵》など)。彼らは単にイタリアやドイツの音楽文化に追いつけ、追い越せととするのではなく、自分たちの民族意識に根付いた、野心的な音楽を創作しました。ロシアの大地や、東洋的な風土を思わせる、まさに“力強い”作風の作品が生み出されたのです。
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