はまができるまで (1)さくらの大航海時代
vol. 2 2022-07-21 0
「観光」というキーワードで日本や九州を見つめる機会が多かった大学在学中。
日本を訪れたり暮らしている外国人にどこまでも寄り添うには、
まずは自分がalien(外国人)の視点で、マイノリティを体感したいと強く思っていた。
その中でもワーキングホリデーを選んだのは、学部留学ができるほど優秀じゃなかったという消去法がまず一つ、そして、ある種の幽体離脱みたいに、限りなく自分から離れた場所で自分の存在を考えたかったからかもしれない。
誰に対しても分け隔てなく冷たい風、陽の差す余地もなく分厚い雲のもと、
人の暖かさとわずかな晴れ間の尊さを知ったアイルランドでの9ヶ月のことを、大航海時代と呼ぶことにする。
漁港、砂浜、岩場、堤防が続く海岸線を歩いていると、つい北条を思い出してしまうのはアイルランド西部のゴールウェイ。冬は17時にはほとんど暗くなる。
当時のアルバイト先だった小倉のBooties...での出会いがきっかけでアイルランドへ渡って、
いろんなまちに転がり込んで暮らし働くうちに
公民館と宿の機能が融合したパブ(Public House)の心地よさに気がついた。
そこで人々は歌っても踊ってもいいし、飲んでも飲まなくてもいい。
話したければ勝手に話し、何も用事がなくても来て良いし、
旅の途中なら泊まっていくかい?というスタンスでほぼ毎日開いている。
パブはその土地のライフスタイルを映し出すものだから、
眠らない街(と言うより、眠るのが惜しい街)首都ダブリンにはライブハウスとナイトクラブが合わさった店を多く見かけた。
その一方、小さな村や集落には、宿泊機能がついたパブが必ず1つ...と言わず、4つはある。
私が「旅」の玄関口からノックしたパブは、
まちと溶け合う宿であり、非日常の延長に待つ日常であり、
そこにはいかなる文脈も受け入れる宿主がいて、宿の持ついろんな側面に観光の概念をくつがえされて、今に至る。
アイルランド中部にある山の裾、キニティーという村のパブ。
「毎日来てるお客さんだ。何を飲みたいか、あんたもすぐ覚えられるさ」
マスターのキエランは、向かいの道路にお客さんが見えたらすぐに、ギネスビールを注ぎ始める。(ギネスは、注いでからグラスの中で泡が安定するまで2分ほど置いてから提供するのだ)
本当にちょうど2分後にドアが開いて常連さんが入ってくると、
キエランはグラスに泡をこんもりと足しながら、「What's the craic?(調子どう?)」の挨拶から会話を始める。
「craic」とは、かつてのアイルランドで話されていたゲール語。(公用語ではあるが、現在は話せる人も少ないのだとか)
「親しみやすい雰囲気」とか「面白い噂話」だとする検索結果にはどうもピンとこないので、ちょっと私なりの解釈を試みる。
もちろん1年そこらのアイルランド滞在で、言葉の意味(ましてやケルト時代の言語!)を分かった気になるには到底早すぎるけれど。
弾いて踊って音楽を分かち合ったり、
プレーする側も観る側も一喜一憂しながら一体となったり。
もしくはふらっと訪れた居酒屋で、隣の席のお客さんと意気投合して気づいたら朝まで飲んでいたり。
「craic」は、「その場のその瞬間の感動を誰かと共有したい」感覚に近いような気がする。
例えば、下関と門司港をつなぐ関門連絡船に初めて乗る時、
デッキに登って関門海峡を眺めようとする多くの人は、想像の上をゆく海峡の波の荒さに息をのむ。
着岸する頃にはどっかのアトラクション並みにびしょ濡れになって、
隣の人と「波やばいっすね」などど笑い合うのもまたcraicではないかと個人的に思っている。
アイルランドの人たちはつまんない乾杯はしないから、彼らが集まるパブは必然的にcraicを生む。シェアする人がいて初めて生まれる感覚だけれど、かといって、大勢がグラスを合わせればいつでもどこでもcraicかと言うと、そういうわけでもなさそうだ。
アイルランド南部の小さな観光地・キャッセルという町に1ヶ月半くらい滞在していた。このまちのスーパーの数より断然多いパブでは、毎日どこかの店からライブミュージックが聞こえてきた。
時々雑誌やネットの記事で私のことを見つけてくれる友人に、
「今何やってんの?」と聞かれるけれど、「何やってんだっけ?」と私自身でも毎回答えに困る。
思えば帰国してから、ゲストハウスや地域の拠点で、
プライベートとパブリックの境目をウロウロして早6年。
眠るのが惜しいほど素敵な夜に立ち会ってきたと同時に、
共通の言語があっても、何度同じ釜の飯を食べても、分かり合えない朝があることも知った。
訪れる人にとってその場所がどんな存在になるかはその人次第なので
「誰一人取り残さない空間」や、「誰からも愛される店」が
私のつくる「はま」の役割かどうかはわからない。
ただ、ありふれた日々が総合芸術であることに気付けて、
誰もが自分に素直になれるような旅の舞台装置になれるといいと思う。
パブリックの提供できる一番の価値は、寂しさを紛らわすためでも、誰かと繋がるためでもない。
自分の中にある孤独にそっと寄り添うこと。
そのために私は、地球上の至る所、その場その時で「craic」を翻訳し続けていきたいし、
見つめる先は変わっていない、はず。
(2021年11月21日 note記事 「今ここで、声をあげること」編集加筆)