音戸渡船とわたしその② 向井勝さん
vol. 13 2020-12-08 0
音戸渡船とわたしその② 向井勝さん
音戸渡船口の本土側は、警固屋という地域です。
向井勝さんは、警固屋生まれ・警固屋育ち・警固屋在住で、地元自治会の副会長。
様々な事業を手がけながら、愛する音戸渡船口近くに弁当屋を構えています。
(唐揚げと手羽先が本当に美味しいので食べてみてください!)
「音戸渡船が無くなる、いうのは、考えられんのよね・・・」
音戸渡船を子どもの頃からずっと見てきた向井さん。たくさんの思い出があるそうです。
「昔は、音戸渡船に50人くらい子どもが乗って、島に行ったりもしよったんよ。今じゃ考えられんじゃろうけど、ほんまに楽しかった」
他にも、音戸の瀬戸での水中翼船の事故の際は、渡船が救助にあたったこと。
地域の祭りでは必ず、音戸渡船口の前にも神輿を巡らせること。
「ここはほんまにたくさん船が通るけえ。音戸渡船は、多くの船が行き交うこの音戸の瀬戸の“見張り番”みたいなもんじゃと思うとるんよ」
就職も警固屋の企業にした向井さんでしたが、3年間、大阪に赴任した時期がありました。
東海地区から沖縄までが営業エリアで、様々な地域へ赴いてみて、気付いたそうです。
「伊勢志摩なんて、すごい有名じゃろう。でも、あの場所を見て『音戸の瀬戸の風景は全然負けてないじゃないか』と思ったよ。全国、いろんな場所を見てきて、改めて地元の景色の美しさが分かった。大阪にずっと居ることもできたけど、わしは、呉がええと改めて思うた」
音戸の瀬戸、というと渡船を渡った島の話題になりがちですが、本土側には春、ツツジが咲き誇る名所があり、音戸の瀬戸公園からは絶景が見渡せます。
音戸の瀬戸は、平清盛が1日で開いたという清盛伝説がある場所。
清盛像が音戸の瀬戸を望む高烏台という名所もあります。
「今でも、何か考える時は、高烏台に行って、今、自分がしよることは、間違いじゃないか?って平清盛像に聞くんよ。ここは、思考を練る場。自分にとってはそういう場所。
ここが好きじゃけえねえ、もう、カミさんには、死んだらこの音戸の瀬戸に散骨してくれって頼んどる。笑」
全国でたくさんの風景を見てきて、改めて音戸の瀬戸の魅力に気づいた向井さん。
音戸渡船のこれからについて・・・
「やっぱり、観光じゃと思う。古き良きスタイルをちゃんと残した上でね。この風景が音戸渡船の魅力じゃけん、残すことが大切。その上で、渡船口にバスを停めて、ここから音戸に渡るようなツアーができんか、と思う。“プチ宮島”みたいにできるんじゃないかと思うんよ・・・ガラはちょっと悪いけどな。笑」
音戸渡船口、警固屋と音戸。
これからどんな風に変化していくのでしょうか。
変わる風景、変わらない風景。
これからも、ここを愛する方たちと一緒に、考えていくための「音戸渡船のみらい基金」です。
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