サヘル・ローズについて
vol. 2 2026-08-05 0
この映画のモチーフにもなってるサヘル・ローズさんは、幼い頃に空爆に遭い、4歳で両親と離ればなれになって孤児となりました。7歳までを孤児院で過ごし、その後、現在の義母の養女となります。
義母の伝手を頼って来日しましたが、日本で待っていたのは決して平穏な暮らしではありませんでした。虐待などさまざまな困難に直面し、義母と二人で家を出ることになります。そして埼玉県の小さな公園で生活を始めました。
ベンチをベッド代わりにし、雨の日は障害者用トイレで母子が身を寄せ合って眠る。そんな日々が続きました。
それでも義母は「この子だけは学校へ通わせたい」と願い、サヘルさんは小学校へ通うようになります。学校へ行けば、少なくとも給食だけは食べることができたからです。
しかし、日本語が話せないサヘルさんには授業の内容は理解できません。彼女にとって学校は、給食を食べるために通う場所でもありました。
そんなある日、毎日同じ服を着て登校する少女を、給食のおばちゃんが気にかけます。学校へ相談しましたが、「家庭の事情には学校は踏み込めない」という壁がありました。
それでも、おばちゃんは諦めませんでした。
「それなら学校の外ならいいでしょう!」
そう言って校門の前でサヘルさんを待ち、「どうしたの?」と声を掛けます。
日本語が話せないサヘルさんは、ただ一言、
「ママ、パーク。ママ、パーク。」
と繰り返しました。
事情を察したおばちゃんはサヘルさんを自宅へ連れて帰り、「ここで待っていてね」と伝えると、近くの公園を一つひとつ探し歩き、ついに義母を見つけ出します。
その後、おばちゃんは母子が住む部屋の保証人となり、義母にはペルシャ絨毯の即売会で働く仕事まで紹介してくれました。
さらに、小学校の校長先生はサヘルさんに日本語を教え、働きに出ている義母に会うための電車賃がない日には、黙って電車賃を渡してくれる男性もいたそうです。
そうやって、多くの名もなき日本の人たちの優しさに支えられながら、サヘルさんは成長しました。
そして今、誰よりも美しい日本語を話し、多くの人の心を動かす女優として活躍されています。
今でも、あの給食のおばちゃんはお元気で、サヘルさんを応援し続けているそうです。
僕がサヘルさんと出会ったのは、映画『ペコロスの母に会いに行く』でした。
長崎の色街の女将という難しい役を、わずかな出演時間で鮮やかに生き切り、作品の空気を一瞬で変えてしまう。その名演は、今でも僕の心に深く刻まれています。
今回、『OKAERI My Dear Fool』を製作するにあたり、僕が真っ先に相談したのがサヘルさんでした。
どうしても彼女の力が必要だったからです。
この作品には、彼女自身が歩んできた人生が息づいています。痛みも、孤独も、そして人の優しさによって救われた記憶も、その一つひとつが脚本に命を吹き込んでいます。
この映画は、誰かを責めるための作品ではありません。
絶望の中でも、人は人によって救われる。その小さな優しさが、誰かの人生を変えることがある。そんな希望を描く映画です。
もし、あの日の給食のおばちゃんが手を差し伸べていなかったら、今のサヘル・ローズさんはいなかったかもしれません。
そして、あの校長先生も、電車賃をそっと渡してくれた見知らぬ男性も、決して有名な人ではありませんでした。
名もなき人の優しさが、一人の少女の未来をつくったのです。
僕は、この映画もまた、そんな優しさの積み重ねによって生まれる作品にしたいと思っています。
どうか皆さまも、この映画の仲間になってください。
皆さまからいただくご支援は、一本の映画を完成させるだけではありません。
きっと次の誰かへ、「大丈夫」と手を差し伸べる力になっていくと、僕は信じています。
