vol.2 たなこやオープンの日
vol. 2 2015-09-08 0
御輿の材料調達から,輸送の映像が残っていました。新山神社の御輿再生は出来ませんでしたが,当時の様子がわかります。
苦戦した御輿製作
軽トラに満載の拾ってきた材料たち。主に,ケヤキを選んで拾ってきました。
「災害救援」のプレートを貼った軽トラは,300kmの距離を走り,茨城つくばへと帰って来ました。
御輿の製作が始まります。製作期間は,約4ヶ月。担がれるのは,雄勝の仮設商店街,たなこやオープンの日です。
雄勝が,未来へ向け大きな一歩を踏み出す最初の1日に御輿は担がれることとなりました。
しかし,製作は難航。頼りにしていた職人である祖父の体調も芳しくありません。さらに,材料がとても古く,とても割れやすくなっており加工が大変です。
限られた材料と時間,未熟な腕,祖父の体調不良。難しい状況の中僕は一人,毎晩製作に明け暮れていました。
頼雄さんの「本当はお祭り,やりたいんだよね」の言葉を胸に抱いて・・・
祖父の死
たなこやオープンのちょうど一ヶ月程前,職人だった祖父は亡くなりました。
たくさんの思い出と,神輿という大きな大きな宿題を残して。
僕は製作を投げ出して,打ちひしがれていました・・・。祖父が最高に僕を愛してくれていた様に,僕は祖父にその人生を捧げていました。
祖父を失って,僕は御輿の製作どころか,何も手に付かなくなりました。
たなこやまで,一ヶ月。
僕はそれでも,約束したから。涙を力に変え,悲しみと祖父の想いをノミに込めて製作を再開しました。
出発の夜
僕は祭りの前日深夜まで作業を続けていました。最後の,最後まで。込めきれない想いをぶつけていました。
祭りに向かう仲間達が,出発が近づき集まってくれました。深夜の作業場で,僕の事をそっと見守ってくれています。
出発したのは,もう深夜12時頃でした。雄勝まで,軽トラで7時間。
御輿の出発は,10時です。御輿と,軽トラ。数人の仲間とともに僕は無言の叫びを胸に秘め,北へ向かいました。
祭りの朝
その日は,曇りでした。雄勝についたのは,7時頃。
たくさんの仲間が迎えてくれました。
震災後,雄勝にずっと入り続け,支援を重ねたLAST ONE MILE PROJECT(LOM)のみんなです。
みんな,僕の事を知っていました。
僕は初めての人もたくさんいましたが,LOMのみんなは優しく僕を待っていてくれたのでした。
御輿を,一緒に担ごう。
この日のために,命を刻んできた。
「おがつ ふっかつ ぜったい勝つ」と書かれた真っ赤なTシャツをみんな着ていました。
右の袖には,僕の名前と祖父の名前が刻まれていました。
完成された御輿には,僕と祖父,手伝ってくれたみんなの想いが乗っています。
今日から,さらにずっとたくさんの想いが刻まれていきますように。
疲労と,緊張感,そして胸に抱えた無言の咆哮で,僕の目は細く,鋭く輝いていました。
時間が,迫ってきます。御輿の棒は先に到着していました。
南三陸町にいた時にずっとお世話になっていた三浦さんが先に運んでくれたのです。
御輿は組み上がりました。
みんなが集まってきます。ついに,御輿は上げられることとなりました・・・