雄勝町との出会い
vol. 1 2015-09-07 0
「壊れたお神輿がある」
「壊れたお神輿があるんだけど,見に来てくれないか?」
それが僕の雄勝町との出会いでした。
2011年,6月。当時,南三陸町で被災地のお手伝いをさせて頂いていた僕は,支援のためにお貸し頂いていた軽トラックでひとり雄勝町へと向かいました。
まだ,瓦礫に埋もれていた雄勝町。今は無くなってしまった雄勝小学校も,雄勝中学校も,まだありました。大型バスが屋根の上に乗っていました。
バス撤去の日の様子
僕は,その日初めてお会いした,硯屋の高橋頼雄さんと軽トラに乗り込み,壊れた神輿の様子を見に行きました。
神輿は,雄勝小学校の一階の屋根の下に置いてありました。
壊れてしまったお神輿。
神輿はあまりにひどく壊れていて,修復は不可能でした。そこで,頼雄さんと二人,神輿とともに壊れてしまった神社から材料を拾い集め,新しくお神輿を作ることにしました。
頼雄さんの言葉
軽トラックの中,僕は頼雄さんに色んなお話を聞かせてもらいました。復興に向けてのこと,震災の時のこと,硯のこと・・・。
その中で,今でもずっと大事にしている言葉があります。
「硯はこの土地に600年も続いてきた。こんな津波なんかで,途絶えさせるわけにはいかない。」
それは,伝統を守る頼雄さんのプライドと,背負う覚悟だったんだと思います。
それから,その時の雄勝町の話を聞きました。頼雄さんは,雄勝の復興計画,町の再興に率先して関わっていて,会議では,漁のこと。仮設住宅のこと。瓦礫の処理のこと。そんなことが話し合われ,ていたようです。
「だけど本当は,祭りやりたいんだ」
緊急の対応が叫ばれる中,祭りのことなんて話に出せない。
でも頼雄さんは,お祭りが大好きで,また大騒ぎして,祭りをしたい。そんな思いがあったようです。
雄勝の人だからこそ,お祭りが出来ない。で,あるなら外部の人がやるしかないんじゃないか。それで僕は,神輿を作りたい!少しでも力になりたい!と思いました。
僕は材料をトラックに積んで,神輿職人だった祖父に相談することにしました・・・
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