当店代表の食品ロスに対する想い
vol. 2 2022-11-29 0
【残り21日】
あと3週間とせまり、日々皆様の応援に励まされながら、西喜商店らしく泥臭く頑張っております。本当にありがとうございます。
さて、以前テレビ出演をした際に、当店のホームページに代表が書いた食品ロスに対しての記事があり、クラウドファンディングを応援してくださる皆様にもご覧いただきたいと思い、シェアさせていただきます。
もう既にお読みになられた方もいらっしゃるかもしれませんが、改めて青果流通における食品ロスとはどういうものなのか、当店が食品ロスの問題に対してどのような姿勢で取り組んでいるのかを知っていただけると、この【軒下青果店】のプロジェクトがどれほど素敵な取り組みなのかを感じていただけると思います。
[当店HPより引用:9月23日(金)関西テレビ「よーいドン」内の「SDGsな人間国宝さん」をご覧頂いた方へ]
八百屋という職業柄、そして京都中央卸売市場の直結、場外売店という立場上、思いがけずたくさんの野菜が入荷することもあり、その野菜の売り先を野菜を見つけることができず、沢山廃棄することがあります。
青果流通における食品ロスについては考え方がとても難しく、当然第一義はビジネスなので、仕入れたものが売れないということは営業活動が至らなかっただけ=仕入コスト、廃棄コストは事業者が負担して当然というのがあります。当然この考え方は生産者にも当てはまるわけで、作ったものが売れないのは生産者の営業努力が足りないから、というのがまず第一に語られるべきです。
とはいえ、食べられるものが捨てられるのはもったいない、ゴミを増やして環境に負荷をかけるのは良くない、なので、社会課題として解決すべきという論点が入ってきます。この論点が入ってくる時に気をつけるべきことは、事業者を下に見ないということだと思います。
最近は生産者からの情報発信も多く、生産現場における食品ロスの考え方はかなり変わってきています。食品ロスといえば生産現場における規格外品の廃棄を一番最初に思い浮かべる方も多いようですが、この考え方にNOを唱える生産者がかなり増えています。生産者にとっては正規品を適正価格が買ってもらうことな一番の喜びであり、失敗作をわざわざ安く買い叩かれるために労働コストを割きたくない、あるいは割くべきでないという意見です。規格外野菜を安価で買い叩いて商品化する様を規格外ビジネスと揶揄する声も多く、なにより「買ってやったら助かるだろう」という生産者を下に見た行為に辟易とされている方を多く見ました。
産地で商品にならなかった野菜は圃場で解決できることが多いそうです。(安易に全て土に返せばいいということでもないようですが、解決方法はプロである生産者が熟知しておられます)もちろん、気候条件で想定より多く収穫できたのでなんとか売りたい、突然バイヤーからキャンセルが来て困っている、など個別対応を強いられる生産者やそのタイミングがあることも事実で、個別レスキュー対応するというのが正しい対応であると考えています。
一方で、流通現場の食品ロスはもう少しどうしようもなくて、一度流通に乗ってしまった以上、誰かに売って食べてもらうかゴミとして廃棄するかの二択しかありません。廃棄することのデメリットは、環境負荷と経済負荷の二点です。
環境負荷については割と待ったなしで、脱炭素だなんだと言われている状況で、このまま従来どおりガンガンゴミ燃やしてていいんかいというのは本当にあって、なんとかしたいと思うところです。経済負荷は、お前のところの営業努力不足やろ、という話ですので、がんばる、しかありません。
ただ、このお前のところの努力不足を社会課題と結びつけることで解決しようとする姿勢にモヤモヤする方も一定数いると思うのです。というか、当の僕がそう思います。なので、青果流通における食品ロスの問題はとても複雑なのです。レスキューに依存することで事業を成立させようと悪く考えることもできなくは無いからです。でも、それでも私は青果流通における食品ロス削減については社会全体で取り組むべき課題だと考えています。
野菜、果物が市場に過剰に供給される原因の一つには、市場の全量買取制度があります。生産者が出荷の意思表示を示したものに関しては、市場はすべて買い受けるという法律です。これがあるがゆえに、青果流通に置いて、需要と供給を完全に一致させることは不可能になっています。この制度がある理由は、もちろん生産者保護の観点ももちろんあると思うのですが、何より重要な視点は食料安全保障の問題だと考えています。つまり国民が飢えないように、常にある程度は供給過剰であるべきだという考えです。また、様々な作物が作られるということも重要です。常に飢えのことだけを考えるのであれば日持ちの良い根菜ばかり作ればよいということになりますが、これまで日本が積み重ねてきた豊かな食文化を後世に伝え、また発展させるためにも生産者が多種多様な作物を生産するという観点は非常に重要なことです。
では、結局お前はとりあえず作るだけ作って余ったら全部ゴミにしていいという考え方なのかと言われますともちろんNOです。ただ、流通の現場は日々押し寄せる商品を通常の注文に応え、ミスなく適正価格で納品することで精一杯です。現場の流通を支える方々におまえらでなんとかしろというのはかなり無理があります。こんなことしてる八百屋はそうそういないと思いますが、その理由は青果流通における食品ロス削減の活動は本当にお金にならないからです。捨てたほうが経済的で小売的だからです。だからこそ、社会の方から流通の仕組みを理解し寄り添っていかないと解決できないのです。
重要なことは、消費者の側、作る側、食べる側が青果流通の仕組みを理解し、寄り添い、食の循環を担う当事者であることを意識することです。そしてそこで大切なことは敬意を忘れないことです。先にも書きましたが、規格外の野菜を農家から買い叩こうとしたり、助けて「やろう」という上から目線ででも本意は安く仕入れたいだけ、みたいな魂胆が透けて見える人も多くいるわけです。八百屋でも同じです。買ってやっている助けてやっている、という魂胆が透けて見える人、多いです。これは、青果流通に寄り添っているわけでもなんでもないです。自分本位で表面的に良いことをしたふりしたって社会は変わりません。できる限り商売の中で、お金をもらって解決が図れる策を模索しています。
作ってくれてありがとう、売ってくれてありがとう、買ってくれてありがとう。
この精神性をもって取り組まなければ、青果流通における食品ロスは永遠に解決しないです。これを私は「敬意の好循環」と呼んでいます。最近はSDGs一辺倒のメディア、SNSに嫌気が指している人も多かったり、あるいは、日本にはもともと「もったいない」という精神性があって、そもそも言わなくてもSDGsじゃね?という意見も聞いたりしてなるほどと思っていました。私はそれより、もっと大切な精神性があると思います。
「おたがいさま」
です。一方通行じゃ駄目なんです。いつも野菜買ってくれてありがとうございます。取引してもらってありがとうございます。おたがいさま気持ちをもって経緯を良い循環に乗せることで少しずつ解決していくしか無いと思っています。余り野菜を買っていただくことそのものはビジネス的にもちろん助かりますし、テレビ放送ではそういうふうに受け止められるかもしれませんが、僕はこの自分のこだわりの本質を伝えたいので、ホームページに記事として書かせていただきました。意識高くて鬱陶しいとは思いますが、こういう人間がやっている八百屋ですので、
何卒今後ともよろしくお願い申し上げます。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
もし共感していただけた、このプロジェクトを応援したいと感じていただけた方はご支援およびシェアのほどよろしくお願い致します。