秋路ヒラクが語る「D.I.D」ディレクターズノート
vol. 7 2019-07-17 0
こんばんわ。TEAMtheULTRALEAのyuzonです。
前回の「Apple」をテーマにした記事はどうだったでしょう。
いろんなリターンがある中で、僕が一番魅力を感じているのは「Apple」です。
そして今日のテーマは[映画]人間あそびのオープニング曲として生まれた「D.I.D」です。
もうMVは見ましたか?
このMVは[映画]人間あそびのプロジェクト真っ只中、6月22日に公開されました。
このプロジェクトは270万円もの費用を集め映画を作るというtheULTRALEA最大の、インディーズバンド界初のチャレンジです。
ただでさえ忙しい中、バンドとしてのニュースを一時も切らせない。常にファンの期待にこたえ続ける。
さすがだと、このプロジェクトの一員ではなく、いちバンドマンとして言いたいと思います。
さて、「Apple」については僕の個人的な意見で書きましたが、「D.I.D」については秋路ヒラクに語ってもらいたいと思います。
(正直この曲、解説できる気がしない…)
ここから先は秋路ヒラク自身の言葉で語ります。
~以下秋路ヒラクが綴った「D.I.D」~
脳を切り替えろ
いいか。脳を切り分ける必要がある。専業主婦もサラリーマンもヒモも独裁者も、そのセクションによって脳を切り分ける必要がある。僕は常日頃そう思っている。どの状況においてもベストを尽くすために。時には鬼になり、時には友人にならないといけない。
だが現実はそう上手くはいかない。後悔と自責ばかりだ。何が言いたいかというと、僕はセルフ曲解説が嫌いだ。絶対したくない。だけどMVとかプロジェクトとか、その道程を語るのは好きだ。
そういうことで、D.I.Dの制作後記を綴る。MV監督を目指していない人からしたら関係がないし、目指している人からしても有益にはならないと思う。オナニーノーツだ。よろしく。
(D.I.DのMVは)できれば部屋を暗くして、でかいディスプレイでイヤホン爆音で聞いて欲しい。どうせ聞いてくれないんだろうけど。
とはいったもののD.I.Dについては言えないことが多い。
今回、制作に携わってくれた人にはわかるけど、アレがこうなって言えないことが多いのだ。そしてアレもアレだから言えない。どうしよう。意気揚々と書き始めたのにもう終わってしまう。
言わないのではなく言えない。僕がギリギリ言えるのはここまで。どういうことかわかった人は友達になれる。
MV監督の理想は「何もしない人」
僕は自慢でもないが今までにMVを31本撮っている。そのうちtheULTRALEAが17本。他の14本はお金をもらって他のアーティストさんの映像を作ってきた。
その中で色んな想いをした。あったかくて、嬉しくて素敵な思い出も多いが、どちらかといえばキツい事の方が多かった。単純に体力的な部分なら寝れば忘れる。だけど精神的な部分は今でも僕を襲う。
平然としていてもふとした時にちらつく。「本当にお前それで良かったの?」って。自分を貫くべきだったんじゃないの?もっと寄り添ってあげれば良かったんじゃないの?本当にベストを尽くせたの?チームのみんなはお前の愚痴を聞くためにいるの?本当にまっすぐやってれば愚痴なんて発生しないんじゃないの?MVって広告なの?
こうしたことが山ほどある。
僕にとってのMV監督の理想は「なんでもできる人であり何にもしない人」だ。価値観によるのだろうけど、自分がトップに立つ環境を作るなら、僕はまず自分がそれを習得すべきだと思ってた。だから全部自分でやってた。脚本を書くのは当然だけど、撮影機材の用意、ロケの許可取り、納品スケジュール、撮影、編集、修正。本当〜に大変だ。
ある時、色んなビジネスモデルやコラムを読んでて、世間はそれだけを美徳としない事に気づいた。キングコング西野の絵本の分業制などがそれに当てはまる。そっちの方がスピードが早いんだって。そんな簡単にうなづけやしなかったけど。
僕の考えも日々アップデートで、徐々に人に任す部分が増えてきた。まずはmocchin。最初はただその場その場で指示を出すだけだったけど、照明の組み立てとかロケの許可取り。今では撮影もたまに任している。
もともと人を育てるのには向いていないと思うけど、人と人との相乗効果はMV制作の現場が教えてくれた。
今ではSENAに音響、Ichimotoに制作補助をしてもらってる。たった4人の極少チームだが、2~3年前に比べると僕にとっては天と地ほどの差がある。これからもきっとMV制作は僕を悩ませるのだが、それと同時に大切な事をたくさん教えてくれると確信している。
「悪い癖」
僕には「悪い癖」があって、それはtheULTRALEAのMVに関して凝りすぎ、というところ。
今までtheULTRALEAで17本のMVを撮った。そのどれにも納得していない。
妥協した、という訳ではなく、公開し、しばらくしたあとで思うのだ。「もう一回撮れたらなあ」と。本当の「完成」はないのだなと思う。
自分のバンドなのかもしれないけど、他のアーティストのMVの方が、あとで見た時に「いいやん」って思えることが多い。theULTRALEAで試して他のアーティストで成功している場合が多い。それがたまらなく悔しかったりする。自分で描いた曲だから、その曲の事をわかりすぎている。だから全て詰め込もうとする。そこにシンプルの美学は生まれにくく、挑戦をしすぎて失敗をする(失敗だと思ってないんだけど)。
その事に気づいたのは「神のまにまに」の制作が終わったあたりだったかな。だから少年ナイフでは自分の実力を試すために、あえて細かい部分は考えず骨だけ考えて撮影に臨んだ。で、今回のD.I.Dの制作を迎えたわけだ。
初の「お蔵入り」
「おやすみ」では裏テーマにトイストーリーと当時ハマっていたウォーキングデッドの世界観。「夢喰」は編集こそ大変だったが、あえて構成をマイナーチェンジで二周させて、それによるブラックさを演出できた。「アンチフーゾク」はただただ歌詞に寄せた。(テーマも露骨だし)ところが「人間あそび」これに苦労した。
何を隠そう、「人間あそび」のMVは一度別のものを作りかけ、お蔵入りしている。
そう、クレイアニメだ。間違いなく挑戦だった。
構想はバッチリ。2018年4月29日のワンマンライブでの公開に向け、制作を始めた。「俺ならできる」と謎の自信をいつも通りもち、制作に臨んだ。
mocchinとIchimotoに手伝ってもらって、材料を買い、コンテを描いて、人形と舞台を作って撮影した。ワンマンに来てくれた人ならわかると思うけど、当日これのショートver.を公開した。そう、完成できなかったのだ。ワンマン当日までに膨らんだタスクの数々で、ろくに寝れていなかった僕はリハーサルの前に、自宅で倒れてしまった。そんなことは人生で初めてだった。
ワンマン後、編集に臨んだが、初めてのクレイアニメの理想と現実は違い、初めてのお蔵入りとなってしまった。この構想はクレイアニメだからこそ最高の形になるもので、いつか、リベンジしたいと思っている。
そこで「人間あそび」のMVを撮り直す事になった。この時、僕は「人間あそび」を脳を切り分けて考えることはできなくなっていた。その経験を経て、僕はもう一度アップデートする事にした。やはり、作詞作曲者が映像を撮る事でこそ作れるものが最強だ、と。
「D.I.D」について綴る
ようやく本題。D.I.Dはこれまで綴ったことを踏まえ、過去と未来をつなぐ映像にする事にした。
楽曲が生まれた意味と、そして映画のOPとなる意をつなぐもの。だからそう、語れない。楽曲に込めたテーマをモロに映像に反映しているからだ。
初めはひたすらアートに徹したモノにしようかと思ったが却下。
ただ新しいモノを讃える文化がどうも気持ち悪くて肌に合わない。東京の水道水をいつも飲んでる高いミネラルウォーターとすり替えられても気づかないドッキリと似たようなもんだ。周りが良いと言えば良いと言う。そしてそれにすら気づかない。そんな人間は尊敬できない。
新しさは自分だって好きだ。刺激をもらえる。でもそこにはしっかりとドラマが欲しい。内的でも外的でもいい。自分が作るなら尚更だ。誰よりも自分自身が納得したい。その一心で脚本を書いた。至らないところが多く、またもやキャスティングはギリギリになった。マロ([映画]人間あそびの主演)には「あけといて」と伝えただけで、前日までMV出演だと言うのを忘れていた。
そんな中でもみんな持てる最大限の魅力を発揮してくれた。やっぱり僕の目に狂いはなかった。
楽曲のテーマは言えなかったけど、せめてこの道程は知って欲しい。
そんな想いで書きました。読んでくれてありがとう。
この楽曲が劇場で流れるかどうかはクラウドファンディングの成功次第。
だいたいわからなかったのでyuzon解説
さて、いかがでしたでしょう。僕は「D.I.D」について語ってと頼んだのですが、「D.I.D」について語られたのはごくわずか、それも「あまり語れない」「アートに徹したものではない」という程度。
おそらくこれを読んで「なるほど!」となる人はあまりいないと思います(いたら連絡ください。秋路ヒラクと親友になれます)。
ということで、僕も30%くらいしか理解できてないと思うのですが、ちょっと僕なりの解説を入れます。
脳を切り替える
秋路ヒラクが時々いう「脳を切り替えろ」という言葉。これはつまり、役割に徹しろということなのだと思います。
theULTRALEAのボーカルとして歌うときはtheULTRALEAのボーカルとして歌い、MV監督として撮るときはtheULTRALEAのボーカルとしてはとらない。ベストを尽くすためにはそうあるべきだと。
秋路ヒラクが「セルフ曲解説が嫌い」というのも、この理由からだと思います。作曲者として語るのか、監督として語るのか、演者として語るのか。すべて自分でやってしまう秋路ヒラクだからこそ抱く気持ちだと思います。
でも人間あそびのMVに対しては「作詞作曲者が映像を撮る事でこそ作れるものが最強だ」と言っています。これに対してどっちがいいとは言えないと思います。秋道ヒラクも1年後には「作曲者であることは忘れて監督として撮ることが最強だ」と言っているかもしれません。
秋道ヒラクが創る作品、僕は1作目から関わって全部見ていますが、本当に進化と変化の連続です。いいほうに変化するときもあれば、正直微妙な方に変化するときもあります。だからこそ次の作品を見るのが楽しみになるんですよね。
チームで価値を創る
僕と秋路ヒラクの関係は7年くらいになります。本当に長い。近すぎず遠すぎず、ある程度知っていながら影響され合っているわけでもない。自慢じゃないけど、秋路ヒラクを”それなりに分かりやすく語る”なら適任だと僕だと思ってます。
僕が思う秋路ヒラクの弱点は「全部自分でやること」でした。
それも最近は変わってきたようで、小さいながらもチームを創っています。
秋路ヒラクを知っている人ならこだわりが強い、自分の世界観に従うといった印象があると思いますが、実際はそれ以上に柔軟な人です。
自分のこだわりや世界観がベースにありますが、会うたびにアップデートされていて、常に学んでいます。
「完成はない」と秋路ヒラク自身が言っていますが、作品自身がどうというよりも、作り手側が成長し続けているからだと思います。前回撮ったMVを見て満足していたら、それから成長していないということですから。
それに、お客さんも常にそれ以上を求めている。アーティストは一度でも停滞したら終わり、期待にこたえ続ける必要があるわけです。
これと似たようなことを有名な人も言っているようです。
芸術に決して完成ということはない。途中で見切りをつけたものがあるだけだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチ(芸術家)芸術に完成はあり得ない。どこまで大きく未完成で終わるかだ 。
奥村土牛(画家)われわれの持つ可能性に比べると、現実のわれわれは、まだその半分の完成度にも達していない 。
ウィリアム・ジェームズ(哲学者)ディズニーランドが完成することはない。世の中に想像力がある限り進化し続けるだろう。
ウォルト・ディズニー(映画監督・実業家)
僕のようにクリエイターではなくクリエイターを支えることが多い人間からすると、羨ましいような妬ましいような…正直、「完成がないことを何でやってるんだろう?」なんて思うこともあります。
ただそれがアーティストとしての「才能」なんでしょう。
「D.I.D」は[映画]人間あそびとつながっている
何度も言っているように「D.I.D」については”語れない”。これは「D.I.D」が映画のテーマとつながっているからです。
[映画]人間あそびの中身については僕もあまり知りません。でも「D.I.D」をでかいディスプレイでイヤホン爆音で聞いてたらなんとなく伝わります。
(というか「D.I.D」というタイトルでもう言ってしまっている気もするけど…)
さて、今回のテーマは「D.I.D」でした。あんまり「D.I.D」のことが伝わる内容にはなりませんでしたが、それはそれでOKです。
結局言いたいことは「映画を見ればわかる」です。1500円のプランにまで上映会招待を付けているのは、全員に見てもらいたい理由があるからです。
ということで、応援してくれた方、上映会は今のところ東京で予定していますが、プロジェクトページで書いてあるように名古屋、大阪でもやる可能性があります。もし来れなくても、Web限定配信も予定しています。
家でも上映会会場でもどちらでもいい。[映画]人間あそびを必ず見てください。
秋道ヒラクがインタビューで語ったように、「絶対楽しませる」とか「絶対感動するものになる」とは言いません。ただ、あなたの中に何かを残してくれることは約束できます。