【一般公開記事】日本のラジオのあゆみ(天涯篇)
vol. 28 2020-06-10 0
引き続き日本のラジオの道のりです。クソ長くなってホント申し訳ないのですが、途中で止めるのも気持ち悪いので、おつきあいいただければ……〇〇篇というのも思いつかなくなってきました……
2016年の夏にMrs.fictionsさんが企画している「15 Minutes Made」というイベントにお呼ばれして、ここで初めてクトゥルフ物の短編をやりました。前から人間が怖い、みたいなサイコ物は多くやってたんですけど、この頃は普通にお化けが怖い、みたいなのをやりたくなってました。怖がってくれた人もいたようで良かったです。
なんとなく怖くするためだけに青くした、自作のお菓子。(写真が見つからなかったので当時のアフタートークのページからお借りしました)
過去公演の履歴見ると、この年2ヶ月連続で公演してたりして、出てほしいキャストのスケジュールに合わせて適当に組んだらこうなったんですが、2016年10月の「ムーア」で、安東信助さんに初めて出演いただいてます。
「ムーア」はちなみに「2016年CoRich舞台芸術アワード!」の第8位になっているんですが、キャパ30未満のRAFTで上演して、出演者4名、動員200ちょっとだったので、システムの隙を突くってこういうことなんだな、と思いました。
2017年もやたら公演してるんですが、まず「ラクエンノミチ」「ボディ」を2本立てで再演しました。毎年1回くらいは何かの再演をやろうと思っていたのの第1弾です。相互に関連深い作品なので同時上演するの夢だったんですけど、2本立て公演1日5ステとかになって、スタッフ陣は修羅だったと思います。「ボディ」は初演と同じ劇団どろんこプロレスオールスターズ、「ラクエンノミチ」はキャスト一新しました。
「ラクエンノミチ」の打ち上げの際に、酔っぱらった田中渚さん(初出演から2回に1回の割合で出演)から「今後も出演できますでしょうか」みたいなことを聞かれたので、酔っぱらったヤシロが「なんなら構成員になったらどうでしょうか」と答えました。翌日、渚さんから「昨日酔っ払ってたんですけどあの話ホントでしょうか?」とメールがきたので、「そうですね、僕も酔っぱらってましたが、そうです」と返信し、ここで、田中渚さんの日本のラジオ加入が決まりました。
ただ、経験上、メンバーが2人きりだと揉めたときに収拾がつかなくなるので、バランス的にもう1人構成員をいれたい、なんならおじさんが良いと思っていた矢先、下北沢のGizidoってバーのトイレから安東さんが出てきたので、ここで、安東信助さんの日本のラジオ加入が決まりました。
ちなみに先取りすると、沈ゆうこさんの加入が決まったのも、何かの呑みの席なので、構成員全員酒の場で加入が決まっています。
こう書くとノリでみたいな感じですが、この年あたりからイベントにお呼ばれすることが多くなり、イベントの打診って割と近々だったりして、そういう時は基本的に信頼している仲の良い俳優さんにお願いしてたのですが、すでに予定があったりしますし、自分から急に「これ出たい」と思う時もあるので、もう少し機動的に運営できるよう、スケジュールをある程度把握できる構成員を増やそうと思っていたところでした。
ただ、日本のラジオは、意思決定がヤシロ1人に集中している独裁体制なんですけど、そのため「ヤシロが次回公演の予定を決めてもなかなか言わない」「構成員が自分の出演予定をたまに言わない」ということも起きています。
2017年の春、安東さんの一人芝居をやった「オルギア視聴覚室」に、宝保里実さんの所属しているコンプソンズも参加していたので、ここで初めて彼女(当時芸名が違っていた)を観ています。ただ、はっきり宝保さんを記憶しているのは、同じくオルギア視聴覚室に参加していた東京にこにこちゃんの本公演を観た時です。
東京にこにこちゃんの萩原つぐとよくんは、ヤシロに缶コーヒーや美味しいお団子、オススメのマンガなどをくれるし、自分が演出の稽古サボってうちの公演の受付の手伝いにきてくれたので良い人です。
2017年の「ミズウミ」が、「田瓶市」を舞台にした最初の作品です。(遡及的に「15 Minutes Made」で上演した「『ハーバート』」も、田瓶市の若宮国際大学を舞台にしていることになっています)
田瓶市は、ほぼ同時期にクトゥルフモチーフの作品をやり始めた劇団肋骨蜜柑同好会が創造した架空の都市です。クトゥルフといえば、作家、作品を横断する神話世界なので、これは是非使わせていただきたいとお願いしました。「ミズウミ」は特に、劇団肋骨蜜柑同好会の作品「愛の技巧」に由来するネタが入ってたりします。
田瓶市に関連した作品を上演しているのは劇団肋骨蜜柑同好会、日本のラジオのほかに、AURYNさんを知っています。「小劇場界のアーカム」になったら良いなと思っていて、そのうち「田瓶市奇譚」みたいな企画公演もやってほしいです。
ちなみに「ミズウミ」のキャスト、渚さん安東さんの加入が決まる前に全員決定していたので、加入発表の次の本公演には、構成員が誰も出演していない、という事態になっています。
2017年の最後の本公演は(公財)三鷹市スポーツと文化財団の主催の「MITAKA“Next”Selection 18th」に参加した「カーテン」です。もうすでに10年くらいのキャリア(旗揚げ2006年)があったので、「いまさらNextでいいの?」って疑問はありましたが、ほかの参加団体に風琴工房(現:serial number 結成1993年)があって、結果、まあ気にしないでおこうとなりました。
どろんこプロレスの写真しかないMitaka “Next” Selection 18thのチラシ
会場である三鷹市芸術文化センター星のホールには以前より足を運んでいて、劇団主宰はみんなそうだと思うんですけど、自分がここでやるなら、みたいな妄想は前からしていました。「せっかくだからあのフカフカの椅子の方に役者が座って、劇場占拠テロの話やれば、照明吊らなくて済むな」 というのが実現したので、考えるだけならタダだけど、考えとくもんだなって思いました。
個人的に「思いついて口に出したことは大体全部やる」という目標があり、「ゴシックロリータをがっつり衣装にする」「ゴーリーを原作になんかやる」「ボス村松脚本の演出をやる」「ナイゲンを暴力団の話にする」なども実現してきたので、これからもその調子でいけたらありがたいです。
同じく「MITAKA“Next”Selection 18th」での参加団体だった牡丹茶房が上演した「Maria」がとても良く、その時の主演が沈さんでした。彼女とはそれまで挨拶程度の面識だったんですが、カーテンをご覧いただいた際に「是非ツヤマジケンのオーディション来てください!」とこちらからお願いして、結果、ツヤマジケンの出演が叶いました。
ちなみに「MITAKA“Next”Selection 18th」の参加団体、上演順で牡丹茶房、日本のラジオ、風琴工房と、「〇〇房」に挟まれる結果となり、その期間はうちも「なんとか厨房」って名前に改名すればよかったです。
2017年の特筆事項としては他に、構成員も増えたし、お世話になった人もいっぱいいるので、日本のラジオでほぼ初めての忘年会を開催しました。会場を貸し切って、昼13時くらいから夜まで出入り自由にしたら、17時くらいの時点で構成員が飲みすぎで全滅して、でも人はいっぱいいて、「日本のラジオの概念だけが存在する」忘年会と化しました。坂井さんありがとうございました。
楽しかったんですけどあれ以来、キツくて大っぴらな忘年会は実施していません。
ここで切ろうと思ったんですけど、いっそ続けます……
2018年は「ボス村松のラジオ」という一部のおじさんたちに高い評価を受けた作品を合同公演でやった後、「ツヤマジケン」の再演を上演しました。
年に1回は過去作品の再演やるの、次は「ツヤマジケン」とは思っていたのですが、規模的に劇場で上演するしかなく、どうしようか悩んでいて、まあ、ダメもとでこまばアゴラ劇場申請してみるか、と苦手な書類を必死で書いたら辛くも引っかかりました。
劇場でやると会場費用もギャラリーよりは高くなるし、どうしてもスタッフそのほかの人件費もかさむので、この時初めてクラウドファンディングを導入しています。その時も今回同様多くの支援をいただきまして、大変助かりました。その節はありがとうございました。
再演ツヤマジケンの衣装、ネバアランドのえいりさんに製作をお願いしています。
これはパンフの撮影風景、着てる制服がそうです。
10年前の第2回「ユメミルヘヤ」がデザインフェスタでの路上公演だったんですけど、衣装を現地調達しようと、そこで見つけて購入した可愛い服がネバアランドさんが出展していたものでした。
で、上演決まる前からツヤマジケン再演やるなら衣装をネバアランドさんにまた頼めないだろうかと、ネットで連絡先調べてたんですけど、めっちゃ人気のメゾンになってるじゃん……ってビビってしまって、そのまま無になってました。
で、ツヤマジケンの上演が実際決まってしまい、どうしたものかとなっていた矢先に、そのネバアランドのえいりさんが三鷹で上演した「カーテン」を観にきてくれ、そのうえ挨拶までいただき……向こうもデザインフェスタの件を覚えていただいていて、たまたま公演情報を目にしてご来場いただいたとのことです……奇跡おきるもんだなと……
ちなみに衣装はクリーニンおよびシャッフルのうえ、クラウドファンディングのリターンとして何着か差し上げた後、ヤシロが保管しております。
この中のどこか、たぶん下に映っている段ボールの中にある。
この年、なぜかヤシロが劇団地蔵中毒に客演することになり、宝保さんと共演しています。コギトさんも(共演してからオファーまでだいぶブランクあり、その間に何度も舞台拝見してますが)そうっちゃそうで、「ヤシロとの共演がきっかけで出演いただいた」系の人、実は割といます。ちなみにヤシロと舞台上で直接絡みがあった人はほとんどいないです。宝保さんはハンマーで殴ったかな。
さらに同じ年10月ごろに沈さんが日本のラジオに加入しています。ちょうどsortieという団体さんの脚本・演出をやっていて、沈さんもその作品に出演していたのですが、上演中(期間中でない、今まさに演技している時)に加入を発表して、上演前は無所属だが、終わった後には日本のラジオ所属になってるとかにしました。
2019年1月「ショウジョジゴク」では、当日精算、終演後の役者面会という小劇場の慣習について思うところがあり、WEBチケットによる完全前売、役者面会なし(お見送り制)に移行しました。自主公演は今後もこの方針でいきたいと思っています。
稽古期間中インフルエンザ感染が蔓延して(不幸中の幸いみんな年末年始の休み中に罹患)、この時期は二度とやるか!とは思ったんですが、まさか今年は別の感染症に悩まされるとは思ってもみませんでした……
「ショウジョジゴク」はまず、メグリムハルヨさんのネクロテックシリーズをチラシのイラストにしたい、という想いがすべてのきっかけです。
原作の「少女地獄」自体は、2009年に「シークレットハンサム」という団体を奥村さん、飲み友達の石橋くんと立ち上げた時にも扱っていました。当初はその時自分が書いた作品のリメイク、とも思ってたんですが、結局完全な書き下ろしです。
演出に一貫したポリシーを持ちたい、というのがこの年の目標で、わりと実現できた気がするので、脚本の精度も含めて特にお気に入りの作品です。
ちなみにシークレットハンサムには「ハンサム割増」という、受付でハンサムと判断されたら1,000円増しという誰も幸せにならない制度を採用していました。
同じ年の5月にまた三鷹市スポーツと文化財団の企画「太宰治作品をモチーフにした演劇公演」にお誘いいただき、「駆込み訴え」を原作に「カケコミウッタエ」を上演しました。宝保さんにはこのとき初めて出演してもらい、日本のラジオ初出演最年少でいきなり主演ということになりました、フジタタイセイさんと宝保さんが開演前にいちはやく舞台袖で待機することになるのですが、楽屋では出演陣が宝保さんたちをあたたかく送っていたそうで、そのみんなの優しさに、当の本人ではないほかの出演陣である豊田さんが涙ぐんでいたそうです。日本のラジオの客演いただいた方々、俳優としての魅力はもちろんのこと、とにかく気の良い人ばかりでありがたく感じています。
この年は「ナイゲン暴力団版」も実現いたしました。その先週にたまたま同じ劇場で、本家の冨坂さん演出による果報プロデュース版「ナイゲン」の上演があり、ホントに偶然で、コラボ企画させていただきましたが、ホントなんか申し訳なかったです。おじさんばかり13人だったので、稽古から本番までほぼ毎日呑んでました。
カナリヤのキャストは「ナイゲン暴力団版」のこのあたりで全員決めています。ほとんどを常連の出演者で固めて、初出演は1人くらいにしとこうと思っていたのですが、その初出演のコギトさんは、年末に小学生の役やってるの観て、「コギトさん、ヤクザいけるかな」とオファーしました。
演出スタイルを考える過程で(および経済上、取り回しやすいのではという打算から)、ちょっと前からコントを書くことにも興味を持ち、2017年にも新宿コントレックスで「コクミンノキュウジツ」というのを(再演ですが)やり、2018年ごろに「アオナ」という店員と客コントを書いて、マレビトの会の別ユニット「マレビトコント」で上演いただいたり、星秀美さんが運営する「読み合わせカフェ」に置いてもらったりしてたのですが、2019年の年末にも佐藤辰海演劇祭で「市役所にて」というコント作品を上演しました。わりと裏ワザでふざけさせてはいただいたのですが、出演者の遠藤ちえさんが個人の俳優賞をいただいたり(美味しい餃子奢ってもらいました)、なぜか佐藤佐吉演劇賞で最優秀脚本賞をもらったりしました。
絶対もらえるわけないと思っていたので、授賞のときパニックになり、コメントで「ロートルの自分がこんな短編でもらえるんだから、みなさんせいぜい頑張ってください」と言ってしまったんですが、これは「ほかにもらうべきにふさわしい若者たちがたくさんいる」という意味が口から出る時に歪んだものとして解釈してください。ホントそうなんで……
で、2020年です。「ツヤマジケン」の次は「カナリヤ」を再演しようと、ちょうどアゴラ劇場の申請も運よく通ったので、満を持してやっちゃいましょうと思っていたらこんなことになりました。いや、ホントは2月くらいまでは、まさか5月まで影響あるとは正直予想してなかったです。
2020年入ってからの半年、様々な人が、演劇についていろいろな決断をしてきたと思います。日本のラジオもいろいろ決めなきゃいけないことがあるよう気がしますが、活動そのものは続けていきたい所存です。今後ともなにかしら気にしていただければと思います。