制作日記#3 「アニメーションから転生した絵本、その冒険」(松村)
vol. 3 2023-09-22 0
早春、プロデューサ・花田睦子とアニメーション作家・鋤柄真希子が徒手空拳で「えほん館出版プロジェクト」を立ち上げる様子を僕は餃子を日本酒で流し込みながら、「いま絵本を作るならアレしかないな…」とほろ酔いで談笑する二人を他所に一人すでに構想を練り始めていた。「アレ」とは、制作中の中編アニメーション作品『LUNATIC PLAN(e)T』のプロローグで、猫が宇宙の誕生を観照するというシークェンスからこぼれ落ちた裏話だ。本作で猫は宇宙がはじまる前と後、時間が今まさに生まれようとする場の淵に立って地球と月の現出を見守るという役割を担っている。(時間よりも先に空間が存在していたのではないかという考察が『LUNATIC PLAN(e)T』では重要なテーマの一つとなっている。)『LUNATIC PLAN(e)T』の主人公は野ウサギと子グマで、二匹はシテとワキの立ち振る舞いを都度々々入れ替えながら、地球から月へ移り住む道行きでさまざまな動植物が織りなすメタモルフォーズ奇譚を経験する。猫はそんな煉獄を生き延びようとする動物たちのはてしない物語から離れた次元で超越した存在として描かれる。
我が家でともに暮らす猫、十二支に参加することのない猫、南方熊楠にとって特別だった猫、100万回生きた猫、シュレディンガーの猫、、、人に最も身近な動物である猫の属性を考えるうちに「猫は猫にしか生まれ変わらない」生命サイクルの輪から外れた寓話的存在というアイデアを思いついた。そしてなぜか僕はこのアイデアに固執している。(カウンターパートとして、人に最も身近な動物である犬は人間の罪のメタファーとしてアニメーション本編で描かれる。が、それはまた別の話。)そんな訳で絵本『ねこはねこのゆめをみる』は脱稿した当初、『ねこのりんね(猫の輪廻)』という仮表題が付けられていたほどだ。一気呵成に書き上げられたこの絵本の文は、序破急の構造を借用し物語が物語を内包するように、物語と詩のすれすれの境界を目指して、ページ数や文字の簡潔さはもちろん『ねないこだれだ』を指針としている。物語と詩のすれすれを目指しているのは、『LUNATIC PLAN(e)T』で猫が経験するすべての出来事が同時にある状態を伝えれないかなと思ってのことだが、絵本って物語(=リニアな時間)だよなー、詩(=ノンリニアな心象)になったら絵本じゃなくなっちゃうよなーというジレンマの結果だが、そのことを花田さんに伝えると「そう!絵本は詩になったらあかんねん。よう知ってるなー」と言っていただけたことを時折思い出しては反芻している。
(松村康平)