【応援コメント10】フリー編集者・辛島いづみさんからコメントいただきました!
vol. 21 2024-09-28 0
川勝プロダクション フリー編集者・辛島いづみさんからコメントをいただいております。
ミルクマンと初めて会ったのはいつだっただろう。記憶にない。たぶん、川勝正幸さんと一緒に作っていた映画のパンフレットの仕事だったと思う。1990年代後半のこと。それからは、パンフを作るたびに、なにかとミルクマンを頼りにするようになり、寄稿をお願いすることになった。
そういえば、川勝さんはミルクマンのことを必ず「斉藤さん」と呼んでいた。川勝さんは年上年下に対して線を引くところがあって、自分より年下だと「くん」付けが基本。でもなぜかミルクマンだけは「斉藤さん」だった。映画の生き字引のようなミルクマンを尊敬していたからだと思う。わたしはミルクマンより全然年下なのに、いつも「ミルクマ〜ン!」と呼び捨てにしていた。
いつだったか、ミルクマンがピチカート・ファイヴのライヴ用のVJネタを仕込むとき、ちょっとだけ手伝ったことがある。「この映画とこの映画の映像がほしい」みたいなことで、手が離せないミルクマンに代わってTSUTAYAへ大量のビデオを借りに行った。電話のシーンだけでいろんな映画をつなぎたい、ということだった。「この映画の電話のシーンもありますよ」とミルクマンに伝えたら、「そうや。それがあったやん」と言われ、わたしはちょっとうれしかった。
最後に仕事をしたのは何だっただろう。わたしがケラさんの舞台のパンフを作ることになり、それに寄稿してもらったことだろうか。雑誌『GINZA』で90年代特集を作ることになり、寄稿してもらったことだろうか。
「10代、20代の文化一般に対する興味があのころより薄れたというのはどうやら否定しがたいようで、いつしかミニシアターが若者でいっぱいになる、というような場面を見ることは稀になってしまった」
これは、ミルクマンが『GINZA』に寄稿してくれた、90年代ミニシアターブームを振り返っての文章の一説。彼の膨大な映画評が本として残されれば、必ずや、文化継承の一助となるだろう。本当は、生きているわたしたちがそれを担わなきゃいけない。でも、やっぱりどうしても頼りにしてしまうんだな、ミルクマンを。