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映画評論家「ミルクマン斉藤」の執筆原稿の出版をクラウドファンディングで実現!

映画評論家「ミルクマン斉藤」が 京阪神エルマガジン社で執筆した原稿を 本にして出版したい!

2024年1月に逝去した映画評論家のミルクマン斉藤氏。1990年代から2024年にかけて京阪神エルマガジン社の媒体にて執筆した映画評論・コラムをアーカイブし、1冊の書籍として出版を目指すプロジェクトです。

FUNDED

このプロジェクトは、目標金額1,400,000円を達成し、2024年11月7日23:59に終了しました。

コレクター
247
現在までに集まった金額
2,089,600
残り日数
0

FUNDED

このプロジェクトは、目標金額1,400,000円を達成し、2024年11月7日23:59に終了しました。

Presenter
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プロジェクトをブログやサイトで紹介

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1977年(株)神戸新聞出版センターよりカルチャー&タウン情報誌、月刊『京阪神エルマガジン』(後に『Lmagazine』)を創刊したのがはじまり。1979年(株)神戸新聞出版センターより分離独立し(株)京阪神エルマガジン社設立。1984年に『SAVVY』、1986年『Meets Regional』をそれぞれ創刊。京阪神の街と人のリアルを時代と共に伝え続け、現在に至る。また旅やエリアガイドなど、テーマを絞ったMOOK本も多数制作。ウェブサイト『Lmaga.jp』にて関西のニュースを発信。いずれもローカルに寄り添った情報を伝えています。

このプロジェクトについて

2024年1月に逝去した映画評論家のミルクマン斉藤氏。1990年代から2024年にかけて京阪神エルマガジン社の媒体にて執筆した映画評論・コラムをアーカイブし、1冊の書籍として出版を目指すプロジェクトです。

映画評論家・ミルクマン斉藤×エルマガジン社

その30年の記録を1冊の本に

もともと音楽家、映像作家として活躍していたミルクマン斉藤氏が映画評論を商業誌に寄稿したのは1994年の『月刊誌Meets Regional』からでした。そんなミルクマン斉藤氏が1990年代から2024年にかけて京阪神エルマガジン社の媒体(『月刊誌SAVVY』、『月刊誌Meets Regional』、『月刊誌 Lmagazine』、MOOK、ウェブ「Lmaga.jp」)にて執筆した映画評論・コラムをアーカイブし、その功績を広く伝えるべく書籍を制作し、1冊の本にまとめることを目指します。

◆ストレッチゴール挑戦中!◆

皆さま、本日まで温かいご支援ありがとうございます。おかげさまで目標にしていた140万円を達成することができました。これもひとえにお一人おひとりのお気持ちの賜物です。ありがとうございます!

そして、私たちは次なる目標としてストレッチゴール200万円を目指すことにしました!

達成の暁には

① 書籍の内容のさらなる充実を目指します。

②イベント開催(1日限りの上映会)を目指します。

引き続きのご支援、どうぞよろしくお願いいたします!

はじめまして、(株)京阪神エルマガジン社です

はじめまして。大阪にある出版社(株)京阪神エルマガジン社です。大阪・京都・神戸をはじめとする関西の街の情報や人を紹介する月刊誌『SAVVY』『Meets Regional』や、街やグルメ、旅などテーマを持たせたMOOK本、書籍の出版、また関西の最新ニュースを伝えるウェブサイト『Lmaga.jp』を運営しています。

https://www.lmagazine.jp/

各媒体、街に寄り添った丁寧な取材を基にした情報が評判で、さらに“カルチャー”コラムがかなり充実していることも特徴のひとつです。

月刊誌『SAVVY』のカルチャーコラムページより

1977年発刊の月刊『京阪神エルマガジン』に端を発する弊社。その出発点はタウン&カルチャー情報誌でした。その伝統をいまも引き継ぎ、街や暮らし、そしてカルチャーコラムも関西“最濃”の出版社として活動しています。カルチャーに絞って言えば、関西在住の個性豊かな書き手を中心に、映画・音楽・アート・本をレコメンドしています。そのうちのひとりが、今回紹介するミルクマン斉藤氏です。

映画評論家 ミルクマン斉藤について

撮影:エレファント・タカ

1963年京都生まれ。デザイン集団「groovisions」の“デザインしない”メンバー、映画担当。ピンクのスーツがトレードマーク(トランペッターとしてかつて所属していたラテン・バンドのステージ衣装だとか)。

中学3年生の頃にロバート・アルトマン監督の『ナッシュビル』(75年)を観て映画に開眼。大学時代には実験映画などを撮りつつ、映像イベントのパンフレットにて執筆することもあった。大学卒業後(卒論は石川 淳)、1年間ビデオショップでアルバイトを経験。ここで田中知之氏(Fantastic Plastic Machine)と出会う。30歳(93年)、田中氏とヘアサロン[Romanza]を営む松山禎弘氏によるDJユニット「SOUND IMPOSSIBLE」のイベントにてVJを始める。これをきっかけにピチカート・ファイブのライブVJにも抜擢、その知名度は全国区となる。

groovisionsの東京の事務所のソファで眠る若き日のミルクマン斉藤氏

94年、当時(株)京阪神エルマガジン社の雑誌『SAVVY』の編集部に在籍していた田中知之氏の紹介により、広告代理店に勤める傍ら、『Meets Regional』に映画評論を寄稿。これが商業誌にて原稿を書き出すスタートとなった。

『月刊誌 Meets Reagional1994年1月号より。ここからミルクマン斉藤氏による京阪神エルマガジン社での執筆がスタート

『月刊誌SAVVY』1996年の連載より。書き手はリレー形式だったコラム。映画がテーマの際はミルクマン斉藤氏が担当した

1995年より不定期刊行映画雑誌「ウィアード・ムーヴィーズ・ア・ゴー!ゴー!」(プチグラパブリッシング)を刊行。1998年、“映画評論家”宣言。『月刊誌SAVVY』、『月刊誌Meets Regional』、『月刊誌 Lmagazine』、MOOK、ウェブ「Lmaga.jp」のほか、『relax』『TVBros.』といったカルチャー雑誌で執筆。また映画パンフレットや映画イベント、トークライブなど精力的に活動。膨大な映画知識をポップな文体で表現し、「批判的に繋げてみたり、わざと似たような文脈でぶつけてみたり」(1999年『広告』-人間ポップ宝をたずねて-より抜粋)、堅苦しくない、あくまでも“映画評論”を娯楽に昇華されたスタイルが特徴。『至極のモダニスト-中平康』、『中平康レトロスペクティヴ』(共にプチグラパブリッシング)監修、共著に『ビデオショップ午前2時』(河出書房新社、川勝正幸編)など。2024年1月2日逝去。

どんな本を作るの?

1994年の『Meets Regional』を皮切りに、『エルマガジン』内「今月のシネマ星取り表」「video cult」、『SAVVY』内「FAB」、『Meets Regional』内「チコなゼッポはグルーチョでハーポ!」、『Lmaga.jp』内「ミルクマン斉藤の本音レビュー」といった各紙連載をはじめ、エルマガムック『猫にメロメロ!』内コラム「猫と映画」ほか、エルマガジン社の雑誌、ウェブ媒体にて執筆した原稿をアーカイブ。さらに当時の担当編集者やエルマガジン関係者による、ミルクマン斉藤氏にまつわるエッセイやインタビュー、対談なども収録予定。エルマガジン社の媒体は主に情報誌であり、それは“常に消費され、新しい情報に刷新される”文化ゆえ、保存性が低い性質となっております。しかしながら、1990年代後半〜2000年代にかけての関西カルチャーの中心的人物かつ、ミニシアターブームを牽引した文化人のひとりであるミルクマン斉藤氏の原稿をそこからサルベージし、映画評論及びポップカルチャーの貴重な資料・文化財として保存記録するべく本の作成を目指します。

【仕様】A5サイズ 160P

【発売日】2025年2月(予定)

【予価】2,500円(本体2,273円+税)

【印刷部数】2,000部(予定)

【内容】Meets Regional、SAVVY、Lmagazine、Lmaga.jpに掲載された

ミルクマン斉藤氏の全原稿、歴代担当編集者&同時期に活躍したライター陣による

コラム or インタビュー(予定)

資金の使い道

ご支援いただいた資金は、本の制作費用(印刷、編集、デザイン及び原稿の外注分)と、特典品制作費、諸経費として使わせていただきます。

【デザイン費・原稿料・校正費・印刷費・リターン発送費など】1260,000円

【クラウドファンディング手数料】10%

想定されるリスクとチャレンジ

今回は「All or Nothing方式」でのチャレンジとなるため、未達に終わった場合は書籍化、及び各リターンは実施されません。その場合、集まった資金は支援者の方にご返金となります。

応援していただく方々へのリターンについて

支援してくださる皆様へ、下記のような特典をご用意しました。

【エルマガジン社からお礼のメール】皆様にお送りします。1,000円〜

ご支援いただいた方、お一人お一人に心をこめて感謝のメールをお送りします。

【完成本のお届け】3,500円〜

ご支援いただいた皆様には、いち早くお手元に完成本をお届けします。

【奥付へのクレジット記載】10,000円〜

個人名及び団体・チーム名などを明記いたします。

【エルマガジン社オリジナルグッズ】15,000円〜

エルマガジン社で作成いたしましたオリジナルのノベルティグッズの詰め合わせをお送りします。最近のグッズから、過去のレアアイテムまで、内容はこちらにお任せ下さい。

応援コメントが届いています!

田中知之さん/FPM(DJ  プロデューサー)

大学生の時、実家の近所のレンタルビデオ屋でバイトを始めた。その店で既に働いていたのが斉藤さんだった。というか、その店の大家さんが彼の実家だった。元々はそこは牛乳屋の店舗で、その時点で牛乳屋はほぼ廃業していた。そう、ミルクマンの名前はそこから。そして、彼は僕の映画の師匠になった。小津安二郎もエド・ウッドも、何もかも彼から教わった。当然、街のレンタルビデオ屋はロクな品揃えじゃなく、名作〜迷作は全て斉藤さんの秘蔵のVHSコレクションを貸してもらって学んだ。しかも彼はその昔、『タモリのオールナイトニッポン』で「ビター・スイート・サンバ」のアレンジコンテストみたいなのがあって、そこで優勝して賞品としてKING社製のトランペットをもらったことがあるくらいの名手でもあったので、当時自分がやっていたバンドにトランペッター兼ホーン・アレンジャーとして加入してもらった。バンドは解散したが、その後も交流は続き、僕が雑誌の編集者になった時、映画関連の原稿を依頼したことがきっかけの一つとなり、彼は売れっ子映画評論家になった。また、自分が90年代初頭にDJの活動を始めたことで知り合いになった伊藤弘さんを紹介したことで、伊藤さんのコンピューターグラフィックスと斉藤さんのVHSテープの映画コレクションをLive mixする、恐らく世界初のVJチームが誕生することとなった。そこで、僕が映画のサントラ盤をメインで選曲するDJチーム=「SOUND  IMPOSSIBLE」名義で[京都METRO]で開催していたパーティで毎回VJをお願いすることになった。ある日、当時ピチカート・ファイヴの小西康陽さんをゲストに招いた時、小西さんは彼らを見初め、ピチカート・ファイヴのライブVJに抜擢。彼らを「groovisions」と命名することになる。近年も[京都METRO]で僕がたまに「SOUND IMPOSSIBLE」名義でDJをやる時にはVJとして参加してもらっていた。VHSコレクションはデジタルデータに変換されてはいたが、相変わらず斉藤さんの人力VJミックスはキレッキレだった...。

そんなミルクマン斉藤さんが、亡くなったと伊藤弘さんから連絡をもらった。

人生の節目でとてもお世話になったような、いや、お世話をしたような人だし、とても寂しいのだけど、彼のあの飄々とした人柄、豪快な笑い声、(僕のバンドに加入していた頃からだからもう40年間もお馴染みの)彼のユニフォームであるピンクのスーツと緑のシャツ姿…などを思い出すと、不思議と笑顔になってくる。常に人を幸せにする、そんな素晴らしい人生だったんだと思う。

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ミルクマン斉藤について話したいことたくさんあるはずなのに、改めて文章にしようとすると一向にまとまらない。仕方がないので、彼が亡くなった翌日の私のFacebookの投稿を転載しておくことにする。これが私が知っている全てとも言えるし、ほんの一部とも言える。

安田謙一さん/ロック漫筆

「映画ならミルクマン斉藤のメールマガジンを、音楽なら安田謙一のロック漫筆を、漫画なら大西祥平の書評を、水先案内人にすることが多い」と川勝正幸さんの文章に書かれたことは今も誇りです。と同時に、斉藤さんの映画、大西さんの漫画に対して、自分が音楽についてどれだけの仕事をしたかを冷静に考えると……。

考えるのはやめます。斉藤さんには旧い映画のことをいろいろ教わったんですが、それよりむしろ、斉藤さんがどの新しい映画が好きなのかな、と考えた時間のことばかり思い出します。

その感情は、ずばり友だちに対するものでした。

斉藤さんが映画について書いた本が出来たら、そのことをずっと思い出すことになるでしょう。

*****

松尾修平さん/Meets Regional編集長

月刊誌「ミーツ・リージョナル」にて、2008年当時のミルクマン斉藤さんの連載「シネマ星取表」から、2024年2月号「我輩はカモである」までをほぼ担当させていただきました。

毎月、大幅に〆切を過ぎて届く原稿には肝を冷やしましたが、歯に衣着せぬ痛快な切り口に加え、誤字脱字がほぼ無いという目の覚める内容。書き手と編集者の我慢と信頼関係を学ばせていただいたと共に、毎回新しく観たい映画が続々増えていくという幸せな経験をさせていただきました。

酒の席が大好きだった斉藤さん。

書籍が完成したら、ビール片手に改めてひと作品ずつゆっくりじっくり楽しみたいです。

最後に

このプロジェクトに興味を持ってくださりありがとうございます。

日本から“カルチャー誌”と呼ばれる媒体、とりわけ紙媒体の多くが姿を消しつつあります。そんななか、関西からあらゆる文化についての発信を紙媒体を中心に諦めることなく続けるエルマガジン社において、ミルクマン斉藤氏は時代の苦楽を共にした仲間でした。映画評論家として全国的に名を馳せてからも、エルマガジン社のカルチャーページの砦として執筆してくださったその功績は計り知れません。過去も、現在も、エルマガジン社の雑誌を手に取り応援してくださる読者の皆様に、ミルクマン斉藤氏の30年の軌跡をしっかりお届けできればと思います。また映画評論を含む映画業界に従事する方々、そしてその場所を目指す方々の励みになればと立ち上げたプロジェクトでもあります。お力添えをどうぞよろしくお願い申し上げます。

撮影:エレファント・タカ

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    • エルマガジン社オリジナルグッズ(詰めあわせ1セット)
    • 2025年02月 にお届け予定です。
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    • エルマガジン社オリジナルグッズ(詰めあわせ1セット)
    • 2025年02月 にお届け予定です。
    • 15人が応援しています。