【ルンタWEB通信011】建築家としての最後の仕事、竹と泥でつくる作業棟
vol. 13 2018-05-18 0
ルンタプロジェクト代表:中原一博
私はチベット難民社会専用の建築家としてダラムサラに住んでいた30年の間におそらく5,000人以上の宿泊施設を設計した。毎年増え続けていた難民に対応するための大きな難民学校や僧院が多かった。ほぼ全て一人でやり通した。政府職員でなくなったあとは設計料をもらったがボランティアに毛が生えた程度であった。ただ、その代わりダラムサラにいる間に仏教の教えをほぼタダで雨嵐のように受けることができたので、それが設計料と思っている。仏教では善なる目的に使われる建物を作るなら、その建物が機能し続ける限りその人の徳が増えることになっていたりするしだ。
ただ、最近チベットの状況は変わり、2008年以降難民の数は激減した。そのための学校や僧院は急速に過疎化しつつある。建物は完成と同時に老朽化が進み何れ存在しなくなる。廃墟となってしぶとく残り続けるのもあるが、稀である。よく私は自分が作った建物が早く廃墟になればいい、なんて思うときもある。大概の建物は次第に大きなゴミと化す。
このところ毎日格闘してる建物が写真の竹と泥(これから壁として塗る)の家である。もう建物は これで最後にしたいと思っている。大抵の大きな建築物は設計図さえ描けば、後は時々現場に行くだけですむ。でも今回のこの小さな建物は土地を買い、資金を集め、一々の資材を買い、運び、自分で組み立てないとできないという建物である。
建設許可なしに安価に作れる建物を目指したわけだ。最初アースバック工法という土嚢を積み重ねるような方法で壁を作るつもりだったので、平面はそれ用におもいっきりくねってる。この方法を土嚢が重くてたくさんは運べないと思ったのと、壁厚分のスペースを節約するために、壁を竹ベースの泥塗り壁に変更したのだ。しかし、後でこのぐにゃぐにゃ壁で苦労することになった。
基礎部分にはネパール初物と思われる『竹筋コンクリート』という工法を試して見た。曲がった梁は割竹数本の面を合わせ、時には火も使い、無理やり曲げてボルトで締めるということでなんとか納めた。これから、屋根はアスファルトシートを敷きその上に藁を葺いて出来上がり。壁に泥を塗りドアと窓を入れ、トイレなどの水回に電気の配線など、、、とまだまだ仕事は多い。以下の理由で予算が足りなくなるということが明白なので、この建物の建設費用は私が全て負担することとした。
で、問題は肝心の母屋の方だ。昨日施工業者とミーティングを行った。あまりに着工が遅れているからだ。業者は新しい見積もりを持ってきていた。前回から180万円ほど増えていた。価格高騰の主な原因は建築許可のために政府が要求する理不尽に強固な基礎部分のせいだった。上部は鉄骨パネル工法なので超軽い。なのに二階建て鉄筋コンクリートと同じ仕様の基礎を要求するのである。彼らにとっては基礎出来上がりの写真をレポートにつければそれで仕事は終わりだとのことである。
1センチ大の雹が降り、二時間も雷が鳴り止まず、現場のテントに閉じ込められた
被災者たちも今、お金もくれないのに耐震設計でないと建築は許可しないということで、被災者は高利のローンを組むしかない。地震でぼろ儲けしているのは役人と銀行である。被災者たちはこれから何年もローンの奴隷となるのだ。出稼ぎしかないと村人たちは思い、人身売買の環境がさらに整うということになる。
天気にもよるが、私の帰国予定である6月20日までには竹と泥の作業棟は完成予定。居住棟の母屋も3ヶ月以内の完成を目標としている。