レオナルド・ダ・ヴィンチについて Part.5
vol. 14 2019-01-30 0
レオナルド・ダ・ヴィンチについて
Part.5 私のお墓の前で泣かないでください
1499年、ミラノはフランス軍に占拠され、レオナルドはヴェネツィアに避難し、そこで軍事技術者として雇われますが、翌年にはフィレンツェに戻ることになりました。
そして世界で最も有名な絵「モナリザ」が1505年頃に完成します。
モナリザ ルーブル美術館所蔵
その後は再びミラノで宮廷画家になったり、ヴァチカンのベルヴェデーレ宮に居室を与えられたり、と活躍の時を過ごします。当時のヴァチカンにはミケランジェロと若きラファエロもいました。
1516年、レオナルドはフランス王フランソワ1世の招きに応じ、フランス・アンボワーズ城の近くに与えられた館に移り住みます。
いったい何語で生活したのでしょう・・・
クルーの館
御年64歳、人生最後の3年間をこの地で過ごし、1519年5月2日にこの館で息を引き取りました。
遺体はアンボワーズ城のサン=ユベール礼拝堂に埋葬されました。
サン=ユベール礼拝堂 フランス革命時に一度破壊されたため、レオナルドの墓はあるが遺骨が本人のものかどうかはわからない。
最後まで手元に残した3枚の絵
モナリザ
洗礼者ヨハネ
聖アンナと聖母子
は、現在ルーブル美術館で見ることができます。
洗礼者ヨハネ
聖アンナと聖母子