レオナルド・ダ・ヴィンチについて Part.1
vol. 9 2019-01-11 0
レオナルド・ダ・ヴィンチについて
Part.1 出生~フィレンツェ・ヴェロッキオ工房
レオナルド・ダ・ヴィンチは1452年4月15日、フィレンツェ共和国の郊外にあるヴィンチ村で裕福な公証人セル・ピエーロと農夫の娘カテリーナとの間に婚外子として産まれました。
「ダ・ヴィンチ」とは「ヴィンチ村出身の」という意味です。
レオナルド・ダ・ヴィンチの生家 フィレンツェ近郊
母親のカテリーナと5年ほど暮らしたあと、父夫婦に引き取られ育てられました。母親と父親が結婚しなかったのは、母親がアラブ系の奴隷だった事で親の許しを得られなかった、という説がありますが、真実はわかりません。
ところで話は現代に飛びますが、1973年からレオナルド・ダ・ヴィンチ理想博物館の調査チームがダ・ヴィンチの子孫を調査するプロジェクトを開始。
ダ・ヴィンチ自身には子供はいなく、また遺骨は宗教戦争時に行方不明になりDNA鑑定はできないので、教会や議会文書などを丹念に調べ家系図を作成しました。
その結果、約35人がダ・ヴィンチの子孫に当たる可能性があると発表しました。血縁者だといわれる人物のなかには、イタリアの映画監督で脚本家、オペラの演出家でもあるフランコ・ゼフィレッリ氏もいるそうです。
さて、ダ・ヴィンチは生前も没後も画家として最も有名な存在です。
その始まりは1466年14歳の時、フィレンツェに出て当代随一の画家・彫刻家のヴェロッキオに弟子入りするところから始まります。兄弟子にはボッティチェリもいました。
ダ・ヴィンチはこの工房でルネサンスの巨匠たちと共に仕事をし、絵画だけでなく彫刻、冶金、建築、設計、工学とあらゆる分野の知見を得ていったのです。
そして20歳の頃、有名な「キリストの洗礼」で左隅に描かれた二人の天使のうち左側を若きレオナルドが担当しました。
そのあまりの出来栄えに、師匠ヴェロッキオは以降絵筆を執らなかったと言われています。
左の天使がダ・ヴィンチ画
ところで、ダ・ヴィンチはかなりの美少年だったようです。
この頃のダヴィンチを彷彿させる作品がこちら。いかがでしょうか!?(笑)
ヴェロッキオ作のダビデ像 ダ・ヴィンチがモデルといわれている
ダ・ヴィンチ画「東方三博士の礼拝」右下の少年は自画像といわれている
自画像アップ
あの有名な「モナリザ」は自身をモデルに描いたともいわれています。
”ダ・ヴィンチは私生活は謎に包まれているが、容姿は非常に端正で美しく、ずば抜けた肉体美を持ち素晴らしい知性を備え、男女問わず人の心を惹きつけた”
そんな人物だったそうです。
つづく