演出ノート①
vol. 3 2022-09-27 0
真田鰯です。
多くの方にご支援いただき、目標達成率100%を越えることができました。
本当にありがとうございます。
今回、演出家としてのノートといいますか、今後『キぐるみの富子さん』を創っていく上での方針のようなものをまとめてみようと思いまして、この文章をかいています。
劇団旗揚げ以前に、『パッヘルベルのカノン』と『大きな栗の木の下で私たちは黙る』という作品を書いて、上演しております。いずれの作品にも、「生きるに値しない命の選別」というおぞましい思想が背景として出てきます。これはナチスドイツの安楽死政策の文脈で使われた言葉で、2016年に日本で起きた相模原障害者施設殺傷事件のときにも取りざたされました。いずれもこのおぞましいイデオロギーに怒りを込めて反駁しているわけですから、「人間の命の尊厳」についての話だと言うこともできます。でも、それだとちょっと私の中では違う気がします。
社会人としての経験で「酸いも甘いも苦いもしょっぱいも知り尽くした」という言い方をしていますが、民間企業でサラリーマンをやりながら感じるのは、「生きるに値しない命の選別」は現実の世界に存在するということです。資本主義というシステムに則り、企業が利益を追求しながら経営を行っていけば、必ず誰かを切り捨てます。企業が本当に従業員の幸福を最優先にするのであれば、そもそも従業員の大半が非正規雇用にはなりません。
私は業務上、たくさんの部下を抱えていて、この部下たちはみな非正規雇用で、最低賃金に毛が生えたくらいの時給で働いています。そしてこの、最低に毛が生えた賃金の仕事でも「働くことが難しい人」に、しばしば遭遇します。彼ら彼女らは研修期間中に「やっぱりこの仕事難しそうだね、どう思う?」と私に訊かれ、さらに毛の抜け落ちた賃金の職場へと流れて行くことになります。たぶん。
このときの私の気持ちは、おおむね、小舟に繋がれたロープを、でっかいハサミでジョキンと切る感じです。彼ら彼女らが乗った小舟は遠くに流されていきます。その先には、チャップリンのモダン・タイムスみたいな歯車があって、彼ら彼女らは歯車に挟まれて、悲鳴をあげながらミンチになります。
それらは全部私の妄想です。実際はミンチにはならず、きっとどこか平和で和やかな職場で、笑いながら楽しく仕事をしていることでしょう。でも私の想像力のなかでは、すべからく悲鳴をあげながらミンチになります。
私はひとりで泣きます。
泣かないときもあります。
そんなときにそれは、私の中のどこかに澱のように溜まり続けます。
大げさなようですが、「最低賃金でもあなたは働けません」という宣告は、死刑宣告のようなものだと考えることにしています。
私は、命を選別しています。
そして、私に死刑宣告をされた人たちが、夜な夜な私の枕元を訪れます。
私はその亡霊をつかまえて、こねくり回し、新しい人物を産みだし、言葉を与え、物語を与えます。物語の中では、行き場所を失った人たちが、誰からも必要とされなかった人たちが、ただただ生きています。私はそこに光をあてます。苦悶したり、あきらめたり、がんばったり、ともかく輝いて生きています。
ただ生きている命の全肯定です。
語らなければならない物語について、語ろうと思います。
光をあてなければならないところへ、光をとどけようと思います。