演出ノート②
vol. 4 2022-10-11 0
真田鰯です。
広島で観た、神楽の話から始めようと思います。
出張で広島に行った際、仕事終わりで神楽を観劇しに行きました。屋外のステージには、お年寄りから子どもまで、あらゆる世代の観客が、地面に座って観劇しており、その多くは「演目の中身は知ったうえで観に来ている」人たちだったかと思われます。
広島、島根あたりは神楽がとても発展しています。演者は概ね「昼間は普通に働いている人たち」です。しかしながら、アクロバティックな舞いや、きらびやかな衣裳、ド迫力の音楽や舞台装置の仕掛けなど、どこをとっても一級のエンターテイメントです。
その日観たのは『滝夜叉姫(たきやしゃひめ)』という演目で、平将門の娘が鬼となって復讐を果たそうとするものです。滝夜叉姫は朝廷から派遣されてきた二人組に討伐されてしまうのですが、私の認識が間違っていなければ、鬼である滝夜叉姫こそが主人公です。切られても射抜かれても起き上がります。最期の瞬間は、引き伸ばされたスローモーションのようなステップと「あなくちおしや」という叫びとともに絶命します。
私が観た滝夜叉姫は、20代の女性が演じていましたが、とても素晴らしい演技でした。終演後のインタビューで「普段は幼稚園の先生をしています」と言っていました。「どうしても、この滝夜叉姫の役をやりたくて神楽を始めました」とも。きっと昼間は優しい幼稚園の先生なのだと思います。
ここです。
昼間は優しい幼稚園の先生が、なにゆえ夜な夜な鬼となり、「あなくちおしや」と叫びながら絶命しなければいけないのか。
そこで弊社劇団員、佐々木啓彰の話です。「教師と役者の二刀流」というコピーとともに入団してきました。「二刀流って、いったい何と切り結ぶの?」とも思いましたが、教師も役者も、彼にとって現実と切り結ぶための刀でした。
最近、諸事情あって教師を辞めたのですが、それまでは通信制の高校の教師をやっていました。通信制の高校には、不登校になった末、通っていた高校を中退した生徒など、様々な事情を抱えた生徒がいます。
彼は、はたから見ていて不安になるくらいには優しく、ひとりひとりの生徒の人生を真剣に考え、愛情を持って接しています。
彼のベースにあるのは、優しさと愛情です。でも、だからこそ、自分の生徒たちを容赦なく切りつけてくる現実の刃の鋭さも知っていて、果てしないいきどおりや悲しみも根底に抱えています。
彼の中に渦巻く、いきどおりも悲しみも優しさも愛情もごたまぜになった行き場のない感情は、教師という刀を握って、現実の世界から自分の生徒たちを守ろうと闘う中でしか、知ることのなかったものです。それはやはり、役者としての彼の武器です。
彼が演じることでしか、表現できないものを描きたいと思いました。
彼が、教師としてひとりひとりの生徒と真摯に向き合うことで鍛えあげられた刀が、私たちの頭上を覆う鈍色の空を切り裂いて、私たちみんなの「あなくちおしや」をどこかの時空間へ連れ出してくれることと思います。