羽根木プレーパーク プレーリーダーハウス 始まりについてのよもやま話②
vol. 19 2021-07-25 0
本日は前回に引き続き、羽根木プレーパークの初代プレーリーダーで、現在はNPO法人プレーパークせたがやの理事である天野秀昭さんの「プレーリーダーハウス 始まりについてのよもやま話②」をお届けします。
建設中のリーダーハウスの基礎で遊ぶ子どもたち(1988)
~神農超人降臨〜
図面や材料は何とかなるものの、いかんともしがたいのは「知恵」と「技」だった。どうつくったらいいかは本から読み取れたが、そもそもあんなに太い丸太など使ったことがない。必需品の道具であるチェーンソーも、初体験だった。あの「お前たちにできっこないじゃん」が何度も頭をよぎる。クソッ!
けれど、プレーパークに来ている人の人脈はすごかった。明大前で喫茶店を開いている神農(かんの)さんという人が、山梨にログハウスを何棟も建てているという。早速、その喫茶店に行き、協力してもらえないかとお願いした。
ログハウス作りの達人・神農さん(1988)
神農さんの返事はシンプルだった。「今建てているログの手伝いにおいで」。そうしたらそこでも教えられるし、そこで基本が分かったら、チェーンソーの講習会も開いてくれるという。
何人で行ったかは記憶に残っていないが、そこには、神農さんが一人で建てたと言う立派なログが3棟、作りかけのさらに立派なログが2棟あった。それは壮観だったことを覚えている。そして、明大前のような都会に化け物のような人がいた、と感じたことも。
この出会い(勝手に押し掛けただけだが)から、以後慣れるまで、難関にぶつかると神農さんはいつもしぶしぶ助けてくれ、ログ完成の礎を果たしてくれた。そしてなんと、あの「できっこない」といった生意気小学生の口から「やればできるもんだな・・・」というつぶやきを引き出すことに成功したのだった。
ログを積みながら切り込みを入れる神農さん(右)と天野さん(左)
~屋根は床〜
アスファルトシングルを貼る前の屋根で遊ぶ子どもたち
遠くからも見える、屋根の上を駆け回る子どもたち。「自分の目を疑った!」と言った人が何人もいたが、おそらくほとんどの人が初めてこの光景に出くわしたときに目を回す。そして、今まで何度も聞かれてきた「最初から子どもが登ることを考えていたのですか」という質問。そう、建築の前から子どもが駆け回ることを保障するために使った頭は相当だった。
まずは構造。子どもが駆け回るのだから、その時は屋根ではなく「床」だ。その強度を保つこと。次に勾配。そうはいっても建物的には床ではなく屋根なので、駆け回った挙句に雨漏りがするようになっては困る。雨漏り防止のための強度と雨を流す傾斜はちゃんと必要だ。これは、屋根をどのような素材で作るかとも深くかかわった問題だった。駆け回り、結果滑り落ちられても困る。滑り落ちない程度の傾斜で滑りにくい素材、けれど滑らかに雨が流せる傾斜と素材という相矛盾する条件をどうクリアするか。
まず、「滑り落ちない」を優先した。そして屋根材には荒い砂をアスファルトでシート状にした「アスファルトシングル」を使うことにした。これはだが、最低で100分の20の勾配が必要な商品だった。100センチ進み、20センチ上がる(下がる)勾配だ。これでは駆け回るにはきつすぎる。なので、アスファルトのロールシートをまず厳重に敷き、その上にシングルを敷くという2層構造にし、勾配は100分の10とした。
〜100分の20〜
竣工した2代目リーダーハウス(1991)
PLHの屋根は、1階部分と2階部分が左右に分かれ、屋根の高さに段差がある「ハ」の字型となっている。向かって左が1階。右が2階となっており、もちろん右の方が高い。そして、この高い方の屋根の勾配は100分の20。そう、アスファルトシングルの正しい使い方となっている。それは、こちらは駆け回れるほど広くはなく、おまけに高い。軒先から地面の高さでいえば、左は3メートルに対し、右は4,5メートルある。こっちから落ちたら結構ダメージは大きい。なので、あえて怖さを感じるように100分の20とした。
〜軒先4,5メートル〜
上棟後、リーダーハウス左側の屋根最高部に立つ子ども
向かって右側の、高い方の屋根の軒先の高さ4,5メートル。これは、これが限界だと先に決めた。これ以上の高さにするのは、万が一のことを考えると恐ろしすぎた(結局30年以上万が一は起こっていない)。
その軒先の高さから逆算した結果、2階部分とその下の1階部分の天井の高さが決まった。手作りの大扉を開けてたたきとなっている方の天井は低い。もちろんそこに乗っかっている2階部分の天井も低い。それは、軒先の高さを制限したからそうなったのだった。なので、少しでも天井に高さのゆとりを持たせたいと、大扉のあるたたきの方は、1階しかない方より床も20センチ低い。この段差は、土だらけのプレーパークで事務室部分には土が上がりにくいという点で一石二鳥だった。
~縞模様の壁〜
リーダーハウス遠路側からの風景。縞模様がよく見える(1991)
長野県塩尻市から8トントラックで運んできた、NTTの100本もの古電柱。運び込んだ後に厳密に調べると、中には結構傷んでいるものがあることが分かった。途中が傷んでいたら、とてもログの壁として長物のまま使うことができない。材料を厳選し、傷んだところを切り落とすと、使えるものは正味80数本分しかないことが分かった。
丸太の間にヌキ板を貼り合わせる作業(1990)
最初は丸太と丸太をきっちりと合わせて組む、そういう計画だったが、それでは材料がまるで足りなくなる。そこで、丸太と丸太の間に隙間をあける工法に切り替えた。その隙間には両側から杉の板(ヌキ板という)を貼り合わせ、上にモルタルを塗り、さらに白ペンキで塗る。思いもよらず、何だか漆喰の縞模様のように仕上がったその外観は、材料が足りない結果だった。もちろん、2階が柱建てになったのも同様の理由だった。
ヌキ板にモルタルを塗布(1991)
【羽根木プレーパーク プレーリーダーハウス 始まりについてのよもやま話③】に続く。
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