羽根木プレーパーク プレーリーダーハウス 始まりについてのよもやま話③(最終話)
vol. 20 2021-07-27 0
本日は前回に引き続き、羽根木プレーパークの初代プレーリーダーで、現在はNPO法人プレーパークせたがやの理事である天野秀昭さんの「プレーリーダーハウス 始まりについてのよもやま話③」(最終話)をお届けします。
リーダーハウス棟梁“くろぼー”さんの結婚式(1991)
〜かっぱの3大至宝〜
みんなで力を合わせて建てることに腐心したPLHだが、ぼくが絶対に人を寄せ付けないで作ったものが3つある。ひとつが、出入り口の大扉。ひとつが、2階部分の「ハイジの丸窓」と呼んでいる窓。ひとつが、事務室に掛かるシャンデリア。
この3つについては自分のイメージが強くあり、なんとしても自分で作りたいと思っていた。ただ、それはどれもそれまで自分が手掛けたことがない技術を必要としたものだったので、自分でも出来上がるのかどうかはやってみないとわからなかった。だから「手伝う」と子どもが来ても、「これは俺がやりたくて作っている。お前もやりたければ自分のものを作れ」とはっきり拒絶し、子どもには材料に触ることさえ禁じた。40年以上のぼくのプレーワーカー経験で、あれほどきっぱり子どもの申し出を拒絶したことは、おそらくない。
写真左に見えるのがリーダーハウスの大扉。右には沢田としきさんが描いた通称「虔一さん看板」が見える
結果は、子どもを拒絶した甲斐があり、すべて満足いくものとなった。
大扉は、PLH自体が傾いてきたので閉まらなくなり、枠を削ったりしたが、本体としてはまだ生きている。存在感がある大扉なので、そこにぶら下がったりするやつもいそうだと(実際にはそれどころか上を歩くやつもいた!)、大きな丁番4枚でこれでもかと固定したのが正解だった。そうそう、この大扉づくりへの参加を許した人が一人だけいる(偉そうだが、本当に「許した」のだった)。当時、羽根木に来ていた3大イラストレーターと呼ばれていた内の一人、沢田としき(その後「アフリカの音」などの絵本作家としても有名となった)。まだ関わり始めてそう日がたっていなかったこの人があまりに熱心に見ていたので、扉の引手の制作をお願いした。イメージを伝え、材料となる枝とディスクサンダーを渡し、あとは好きに削ってもらった。サンダーを初めて使ったという沢田氏はその面白さにはまり、こののちさまざまなものを削り出していった。沢田氏の作品作りの多様性にもちょっと寄与したと思われるその引手は、いまだに大扉に健在だ。
通称「ハイジ窓」と呼ばれている12角窓(1991)
2階の窓は、最初から丸いイメージではなかった。設計の前段階で「ハイジの丸窓」と誰かが言った。自主保育の子のうちの誰かだったような気がするが、よく覚えていない。ただ、それを聞いたときにもともと大のハイジファンのぼくは設計にそれを反映し、他の者には作らせるかと思ったことは覚えている。12角形にきっちり合わせるよう、角度をそろえてかんなで削り出す。このなかなか難しい作業がピタッと来た時の感動。さらにそこに観音開きの扉が収まり、内側からあけ放った時に見えたプレーパークの全景には震えるような喜びがあった。
柿の木の枝をくり抜いたシャンデリア(1991)これは3代目リーダーハウスにも引き継ぐ予定
PLH内の照明をどうするかは、相当悩んだことだった。普通に考えれば、天井に直付けの長い蛍光灯なのだが、直付けはハナからからだめだと思っていた。屋根の上を子どもが駆け回る予定だったからだ。天井に直接伝わる振動は、直付けの照明を脅かす。蛍光灯が降ってくるかもしれない。なので、振動を吸収できる吊り下げ型か壁に設置する間接照明型か。
そんなことをいつも考えていた時、開設して間もない駒沢はらっぱプレーパークに1,5メートルほどの柿の木が伐採されて転がっていた。その枝ぶりに一目ぼれしその場で切断、羽根木に持ち帰った。枝の長さをかっこよく切りそろえ逆さに宙づりにする。その枝の断面に電球をくっつける。う~~~ん、これだ。だが、枝の切り口から電線が中心に通らなければならない。ドリルでひたすら掘るのだが、それがまた硬かった。すべての穴が貫通した時は、これも達成感でいっぱいだった。最後にかまどの火で焼き目をつけ、電球を取り付ける。暗かった室内がまさにパッと明るくなり、思わず歓声を上げた。
〜エピローグ〜
竣工直後のリーダーハウス内部(1991)
ログをつくっていて、感動したことは山ほどある。
窓をつけるため丸太を切りそろえ、窓枠を打ち、そこにアルミサッシがピタッと収まったとき。積んだ丸太の端を最後にアーチに切りそろえ、それが見事なカーブを描いたとき。天井の石膏ボードを張るために上を向きっぱなしで、首が折れそうになりながらその最後のビスを打ち終えたとき。2階から、事務所部分の部屋を見下ろしたとき。2階の大きな窓(のちに封鎖した)から、屋根の上に出たとき。大扉に至る、これも丸太で作った3段の階段を設置したとき。電気の配線も自前だったため、安全器を入れる時の緊張と電気がついた時の喜びを分かち合ったとき。床を張り終えて見事な屋内になったとき。モルタルに白いペンキが塗られ、鮮やかな漆喰の壁のようになったとき。
ログを組む若き日のくろぼーさん(左)と天野さん(左)
初めは何もできなかった棟梁のくろぼーが、いつの間にか腕を上げていたとき。そしてなにより、「できっこない」と言った子どもに「やればできるもんだ・・・」とつぶやかせたとき。どうだ、見たか。勝手にあきらめんな!
ここに書き残せない(含:けっこうヤバい)エピソードもあるし、何よりそもそも書ききれないほどの数のエピソードがある。間違いないのは、とにかくたくさんの人の思いを載せてあのPLHは建った、ということだ。
あれから30年以上、屋根の上に数えきれないほどの子どもを乗せ、そればかりか、そこから始まるドラマもたくさん生み、PLH2号はよく頑張った。あの小屋に育てられた子どもは、おそらく、計り知れない財産を身につけることができたと確信する。それは、生涯残る「思い出」という財産だ。
2021年8月、PLHはその役目を解かれ、解体される。みんなに代わり、君に心から感謝したい。
天野秀昭
2021.7に開催された棟下式で祝詞を読む天野さん
棟下式で天野さんが詠んだ祝詞全文
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「羽根木プレーパーク・ありがとう!さようなら!みんなの新リーダーハウスProject!」↓
https://motion-gallery.net/projects/leaderhouse199...
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