「小人の木」を忘れない
vol. 3 2023-05-22 0
プロジェクト開始から10日目! 連日、たくさんの方からのご支援をいただいています。ありがとうございます!
かつての二小卒業生、保護者の方からも、熱い応援メッセージと共にご支援をいただき、プロジェクト・メンバー一同感激しています。心より感謝申し上げます。
校舎の改築に伴って160本中100本の木の伐採が決まったとき、一番悲しんだのは子どもたちでした。私たち保護者は、有志で、せめて木の記憶を子どもたちに残したいと桜染や木工をするサークルを立ち上げました。その時は、移植という方法があることなど全く思いもしませんでした。
それが伐採直前、奇跡的な出逢いと急展開で「可能な限り、移植する」ことになりました。与えられた期間はわずか4日間。正直、すべての木を救えるとは思っていませんでした。それが最終日、凄まじい気迫と勢いでほぼすべての木が救出されました。
5月6日の夕暮れ。残っていた18本もの木の掘り取り、仮移植(一部搬出)が終わったとき、不可能が可能になったと思いました。
時間が足りず、どうしても掘り取れなかった木も「すぐには伐採されない」ことを確認して後にしました。
ところが。このとき、一本の木が見落とされていたのです。
その後、5月13日に行った追加の緊急避難は、アップデートVol.1で記した通りです。不可能だとあきらめていたヒマラヤスギを救出し、近くにある桜も同じく仮移植場に収めたのですが、GW中に避難させられなかった飼育小屋の奥の桜はあきらめざるを得ない状況になってしまいました。
幹から太い枝が三つに分かれた立派な桜。飼育小屋の奥という位置からも、その大きさからも、用意した重機からしても、また時間的にも、掘り取ることは不可能。それでも、すぐに伐採されることはないかもしれない。私たちはそこに一縷の望みを託してその場を立ち去りました。
13日の後、いよいよ工事ヤード内では本格的な解体作業が始まり、24日までは立ち入り不可と言われました。ただ、16日から東京は晴天が続き、気温も上がり、仮移植場の樹木の様子が心配だった私たちは無理を言って18日の工事終了後、ヤード内への立ち入りを許可してもらいました。
5日ぶりに入った仮移植場は、予想通り根元の部分がカラカラに乾燥していました。私たちは夢中で学校の水道にホースをつなぎ、届く限りの樹木に水かけを実施。18時からの立ち入りだったので、夕暮れが迫る中、樹木の状態を確認して写真に撮りました。
ふと目をやると、南側に伐られた木が横たわっていました。ああ、この木は、唯一残してしまった桜だ。飼育小屋と南門の間にひっそり立っていて、最後にどうしても掘りとることができなかった木。
「ごめんね」
撫でることしかできず、私たちは現場を後にしました。帰宅して、寝る前に、娘に救えなかった桜が横たわっていたことを伝えました。写真を見せると、娘はうつむいて言いました。
「なんでわたしだけ、と思ってるかな」
「そうだね」と言って、伐られる前の写真を見せると、娘はクルッと背中を向けました。
「小人の木だ」
「小人の木って呼ばれていたの?」
私の問いも耳に入らないように、背中を震わせ泣いていました。みんなが大切に育てていた動物を日差しから守り、じっと見守ってくれていた木。幹の下に穴が空いていて、穴から小人が出てくるという噂で「小人の木」と呼ばれていた、と。
きっと、入学したてでぎこちない子どもたちの会話の架け橋という大事な役目も担っていたのでしょう。
「この木の穴に小人が住んでるんだって。出てくるかな。のぞいてみようか」
子どもたちの声が聞こえてくるよう。40本以上を救出して、たった一本残った木。でも、にんげんと同じ、かけがえのない大切な、一つのいのち。
「小人の木」の記憶。それは子どもたちそれぞれで、違うエピソードがあるのでしょう。
この木のことを、忘れてはいけない。形はなくとも、思い出話でもいい、語っていかなくては。こんな思いをもうしたくはない。強く思いました。
「小人の木が犠牲になって守ってくれたから、そのためにもみんなが長生きしてほしいな」
娘は言いました。
本当にそうだね。私たちはまだスタートを切ったばかり。いのちをつなぐ最善を尽くさなくては。
改めて心に誓い、思いを新たにした夜でした。
5月22日 森田真里恵