【あと1時間!】吉成虎維さんからエッセイが届きました!
vol. 29 2024-12-20 0
『航海記』クラファン、まもなく残り1時間です。
応援が続々と集まっております。
メールでもお問い合わせをいただき、たった今、代理応援をしました。
あたたかいお気持ちを受け取って、じんわりと感謝の気持ちが広がり続けています。
心から、ありがとうございます!
詩人の吉成虎維さんからエッセイが届きました。
彼は、豆本『航海記』の表紙や函、見返しの和紙を染めました。一夏かけて、彼自身が青色に染まってしまうのではないかというくらい、ずっと青を染めていました。
今、吉成虎維からエッセイを受け取って、読んで、すごいものが届いてしまったことに気づきました。
いくらか先の未来から届いた手紙を、今の私が読んでいる。
なんてすごいことなんだ。私のボキャブラリーでは、これ以上語れることがありません。
読んでみてください。そして、未来のあなたと私に会うのが楽しみです。
未来に向かって、漕いでいきます。
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未来でこれを書いてます。旅に『航海記』と『UTAU』をたずさえて
いくらか先の未来から送ります。この伝送が届く「そちら」の今日が、書店版『航海記』クラウドファンディングの最終日でしたね。いま僕は、S町やR市など、僕の住所よりも北の北にある土地を凍えながらまわり、銀白色と暮色まじりあうB谷近くでようやく見つけた宿屋にすべりこんだところです。荷解きもそこそこに君へ宛てて、これを書いています。境目をなくした雪景色を客室の二重窓が切り取る。分厚い木製サッシは断熱性能がすばらしいと見え、さきほど運ばれてきた香辛料の効いたお茶も手伝い、極地にありながら身体が熱いくらいです。
先に言っておきます。この一通が、今回こちらから送れる最後のメッセージです。(詳しくは書かないけれど)いろいろと制限がアリ、そちらへ送れる件数が決まっているからです。土地の名前をAだのBだので伏せることも規則に従ってのことです、どうか悪しからず。
この旅の途中、レイ・ブラッドベリ著『華氏451度』の一文を無性に活字で読みたくなり、いくつかの書店に入ったけれど、軒並み売り切れでした。これが、僕の居る世界での時世時節というわけです。これで伝わるかと思いますが、こちらの世界でも紙の本は生きており、ちゃんと、読む人がいます。
「そちら」に送ることのできる文字数も限られているので、少しずつ本題に入ります。
ご報告します。僕が訪れたいづれの書店にも、赤井都さんの掌編小説『航海記』が置かれていました。まだ君が行ったことのないであろう町。君の「いま」の住所から遠く離れた土地で「おおい。おおい」の読者がいるのです。(先日のラジオの影響だろうか)書店によっては面出しで置いているところもありました。書店や図書館で『航海記』が置かれているのを見るときの喜びは、初版からこれだけ時間がたった今でも変わりません。明日訪ねるV市にもきっと置かれていることでしょう。初めて訪れる土地で『航海記』を見つけたときの喜びといったらありません。飽きることなく、胸が深々と新たな空気を味わうように『航海記』を見かけるたびにいつも喜んでおります。書店版『航海記』が出版された年のことをよく覚えています。君も僕も、どこへ出かけるにしても必ずそれを何冊かカバンに入れて出かけたものです。一冊は自分のため、あとは、これから出会うであろう誰かにこの本のことを伝えるため。その時の癖なのか、僕はこの旅にも書店版『航海記』の初版を持ってきています。「舟は、人ひとりがようやく乗れる大きさ」しかありませんが、本くらいは持って運べますからね。
忘れもしません。『航海記』は、かつて妻が僕に教えてくれた物語です。妻と連れ合いになるよりいくらか前の出来事で、初めて読んだのは静かな晩秋の昼間でした。その物語に僕が見た海は、冬色せまる厳しい海でした。寂の趣きあるその小さな本は、握りしめてしまっては壊れそうでしたが、抱きしめたくなる物語を乗せた小さな舟でした。ひと二人の出会いと別れが描かれている物語だということは変わらないのですが、その後『航海記』は読み返すたびに海の色を変えました。春夏には和らいで見え、やがて(比喩としての)秋冬には暗い色の海も見せました。長らく僕は『航海記』を、残される者の視点でばかり読んでいましたが、ある頃からは、立ち去る者の側からも読むようになりました。最初は、自分に生き方を示してくれた何人かの師のことを思い浮かべていましたが、その後、僕自身が齢を重ねるにつれ、自分も、やがて時代を立ち去るのだという実感が湧いてきたのです。
さて、僕は書評家ではないから、少し話を逸らそうと思います。
君は覚えているかと思いますが書店版『航海記』の仕事が始まった頃から、君と僕は音楽作品『UTAU』ばかりを聞いていました。そのCDは音楽家の大貫妙子氏と坂本龍一氏の共作で、二人の鳴らした音だけで構成されている作品でしたね。詩にも音にも「かなしみのたしなみ」を垣間見て、どこかで『航海記』と重ねて聴いていました。
“今では他人と 呼ばれるふたりに 決して譲れぬ 生き方があった”
(『風の道』作詞・作曲 大貫妙子、敬称略)
ひと二人が今は別々のところに在るということ。人人は、それぞれ違う人間同士で、ある時、おなじ海に個と個の舟を近くに浮かべて並走してはいるが、なんらかのお別れがある。過去は、一方からの視点で静かに眺められ、想われ、歌われる。離別には、かなしみがともなった、しかし、今では、その別れや、かなしみすら愛し、静かに今をたしなみ、自分はちゃんと歩いている。そんなふうに聴こえていた。『UTAU』とは別のCDに入っている唄で大貫妙子氏は、
“皆とはじめた 新しい仕事にもなれて 元気でいるから 安心してね”
(『突然の贈り物』作詞・作曲 大貫妙子、敬称略)
と、離れた人に向けた詩を歌っていました。かなしみをたしなむ、ということは、次に自分がどう生きるかを確かめ、何かを始めるということでもあるようです。レコードされた詩や唄を過去とするならば、ライブで大貫妙子氏が歌うことや今の言葉を話すことは、かなしんだ後、未来でどう生きるかの実践を見せてくれているようにも思えました。あの当時、君と僕は『航海記』的なものを投影して味わっていたはずです。そして今も変わらず、我が家には『航海記』と同じ棚に『UTAU』があります。
さあ、文字数制限のかかる3000字に近づいてまいりました。
このように、未来からメッセージを出すとエラそうな書き方になっていやしいないかと、いつも気がかりです。君はまだ知らないはずですが、僕の住む世界ではどこの宿屋のフロントにも四次元模写伝送機というマシンがあります。このあと身分証を添えて、この伝送用紙をホテリエにスキャンしてもらえば、瞬時に、君のいる「いま」に届くでしょう。最初に話した通り、時空を超えたやりとりには厳粛な規則があるため、僕が西暦何年の12月20日にいるのかは明かせません。ただし「作品との出会いをつくる」という君の仕事が、この先の未来でも続いているのだということが伝われば十分だと思います。
そちらは2024年12月20日。この年は新装豆本版の展示もありましたし、君も僕も頭の中は『航海記』だらけの一年でしたね。赤井都さんにもよろしくお伝えください。ここからまた忙しくなるでしょう。ただ、今日明日ぐらいは、安心して、ゆっくり休んでください。家族や仲間とあたたかくすごしてください。では、また、未来でお会いしましょう。
吉成虎維(詩人)
photo by Katsuhiro Ichikawa
東京都在住。詩人。2015年から自作詩の実演すなわち実演詩に取り組む。日頃はノートを携行し、文字や絵を記録に用いる。豆本『航海記』読書席三年後版の「海の窓装」表紙・函、「がんだれ装」の見返しを染めた。