独房に残された遺品 <クラファン終了まで、残り3日>
vol. 50 2024-12-15 0
金子文子の死後、刑務所当局から遺品として下げ渡されたのは以下のみだった。
3冊の手帳、櫛(くし)3つ、現金、万年筆、雑誌数冊、書籍はアルツィバアセフ『労働者セイリョフ』、ダヌンツィオ『死の勝利』、スティルネル『自我経』(唯一者とその所有)の3冊。
写真の◉改造社。大正10年印刷。大正14年改訂発行。文子の短歌に「独り居る春の日永し監獄に 繰り返し読む スチルネルかな」がある。
◉『自我経』の扉。「日本の古本屋」で購入したため、印は以前の所有者のものと思われる。
山田昭次著『金子文子 自己・天皇制国家・朝鮮人』によれば、7月31日読売新聞は「彼女には1通の遺書もなく余白なきまで書き綴られた3冊の手帳は当局が黒で抹殺し引破ってあった」と報じている。また「書籍はいたる処切取られている」状態であった。
雑誌もまた、同日付国民新聞によると「雑誌には何か秘密な事柄を記したものらしく、その部分は切り取られてあった」。
大審院で弁護を担当した布施辰治は、遺書のなかったことに疑義を呈している。
「特に奇怪なるは、栃木刑務所に収容後五十日の間に九百枚の原稿用紙と、二瓶のアテナインキと二本の万年筆を使用した事跡の明らかなるにも拘らず、一枚一行一字の遺書もないと云う事である。彼のぐらい筆達者にして死の直面に悩んだ金子文子氏にして其の死を決行する遺書の無い筈がない。のみならず慰留品としての書籍には、切ったり消したりした箇所の甚だ沢山有る事に依っても、彼ら司法刑務当局の遺書を秘密にした事が窺わるると思う」(「金子文子の自殺と恩赦前后の処遇」)。
山田昭次氏は、以下のように結論づける。
「文子の自殺はそうした抵抗手段しか残されなかったという意味では刑務所官吏の殺害行為であり、その責任を逃れようとする彼らの醜い姿を文子はちゃんと見通していた。実際、刑務所当局は文子が書いたものを抹殺し、死亡状況も曖昧にすることで、文子を自殺に追い込んだ転向強要の痕跡を掻き消そうとしたのであろう」
◉新潮社。大正5年発行。大審院の判決の直前に、文子が市ヶ谷刑務所で書いた「最後の手紙」の一節に「この万年筆と、柄にもない妾(わたし)の『死の勝利』の書物とが、貴方への唯一の遺品となることです」というフレーズがある。
◉新潮社。大正8年発行。『何が私をこうさせたか』の中に、新山初代に触れて「長い間私は本を読みたかったが本が買えなかった。ところがこうして初代さんの友達となってからは、初代さんのもっている多くの本を借りて読んだ。『労働者セイリョフ』を感激をもって私に読ませたのも初代さんであった」という記述がある。