恐るべき「革手錠」 <クラファン終了まで、残り5日>
vol. 48 2024-12-13 0
黒色戦線社から1976年に出された『金子文子歌集』のラストには、明らかに刑務所当局が金子文子に肉体的な暴力を加えた短歌が並んでいる。
狂人を縄でからげて
病室にぶち込むことを
保護と云うなり
*
さり乍(ながら)手足からげて
尚死なば
そは「俺達の過失ではない」
*
殺しつつなほ責任をのがれんと
もがく姿ぞ
惨めなるかな
「過失」があれば、即「殺し」に直結してしまうような加虐。いったい、何があったのか。
皮手錠、はた暗室に飯の虫
只の一つも
嘘は書かねど
皮手錠? 単に金属の手錠を革製にしたものかと思ったが、調べてみると、これがとんでもない囚人用の拘束具だった。ベルトを腰に巻きつけて、両手をそれぞれ腹側と背中側の手錠に固定し、身体的自由を奪う。
暴れたりする囚人に懲罰を加える苛烈な拘束具で、2002年には名古屋刑務所で死亡事件が起きた。これによって「革手錠」の使用は禁止に向かい、04年頃からは使われていないとか。
革手錠の使用は、刑務所長だけが命じることができたらしい。どうして金子文子は革手錠などという非人間的な懲罰を受けることになったのか?
在ることを只在るがままに書きぬるを
グズグズぬかす
獄の役人
*
言はぬのがそんなにお気に召さぬなら
なぜに事実を
消し去らざるや
明らかに山田昭次氏が『金子文子 自己・天皇制国家・朝鮮人』影書房)で指摘するように、刑務所当局による「転向強要」があったと思われる。
それに対する金子文子のスタンスは、
手足まで不自由なりとも
死ぬという、只意志あらば
死は自由なり
13歳で自殺を思い止まり、たった「一人の女の友人」新山初代と話すきっかけも死をめぐる話題だった金子文子。虚無主義の運動も「始めから命を棄ててかかつた」が、死刑から無期刑に減刑され、服役した女子刑務所でも死と向き合うことになった。
『金子文子歌集』は、刑務所当局との肉体的な争闘がうかがわれる8首の後、次の一首で締めくくられる。
女看守が火を吹きつつ
焼くめざしの臭い鼻にしむなり
獄のヒル時