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東京・池袋でハウジングファーストをクラウドファンディングで実現!

路上からアパートへ!東京・池袋でハウジングファーストを実現したい!

東京・池袋にアパート一棟(4室)を丸ごと借り上げ、従来の支援モデルでは解決できないホームレス問題を「ハウジングファースト」という先進的な枠組みで解決するべく、複数の支援団体と共同してモデル事業に取り組んでいきます。

FUNDED

このプロジェクトは、目標金額1,000,000円を達成し、2016年9月30日23:59に終了しました。

コレクター
180
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1,439,833
残り日数
0

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このプロジェクトは、目標金額1,000,000円を達成し、2016年9月30日23:59に終了しました。

Presenter
一般社団法人つくろい東京ファンド 代表理事 稲葉 剛 プロフィールを表示

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1969年、広島県広島市生まれ。1994年より東京・新宿を中心に路上生活者支援活動に取り組む。20年間で3000人以上の路上生活者の生活保護申請を支援。 2001年、湯浅誠らと共に自立生活サポートセンター・もやいを設立し、共同代表に就任(2003年より2014年まで理事長)。2014年、一般社団法人つくろい東京ファンドを設立し、空き家を活用した低所得者支援に乗り出す。 一般社団法人つくろい東京ファンド代表理事、住まいの貧困に取り組むネットワーク世話人、生活保護問題対策全国会議幹事、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科特任准教授。

LAの路上から東京のアパートへ!44年ぶりの帰国を支えた人のつながりとは? 

vol. 6 2016-09-27 0

1970年代初めに大工として渡米後、帰国が困難となったまま、2010年からロサンゼルスでホームレス状態となった宮田満男さん(87歳)。 その後、現地で支援者たちと出会い、その中でも動画制作を仕事にしているキース・ハムさん(34歳)が宮田さんの暮らしを撮影し、ドキュメンタリーを製作、これを活用したクラウドファンディングを実施。多額の寄付をあつめることに成功しました。 

これによって帰国にかかる資金等を調達し、今年6月、44年ぶりの宮田さんの帰国が実現しました。現在は「つくろい東京ファンド」の借り上げアパートで、新たな生活を始められています。

※関連記事:ロスで路上生活になった日本人男性が帰国へ。朝日新聞で「つくろい東京ファンド」の住宅支援事業が取り上げられました。 ( http://inabatsuyoshi.net/2016/06/21/2333 )

宮田さんは、遠い異国でホームレス状態となり、どんな思いを抱えて暮らされていたのでしょうか?

また、キースさんがドキュメンタリーとクラウドファンディングという支援手段をとった背景とは何だったのでしょうか? 今回は宮田さんとキースさんにインタビューをお願いし、彼ら自身の言葉で、現地でのやりとりや支援の輪が広がってく様子を語っていただきました。

44年ぶりの帰国。その陰には、さまざまな人たちによる暖かな支援の手がありました。

44年ぶりの日本を見て

── 44年ぶりに帰国されて日本も様変わりしていると思うのですが、感想はいかがですか?

宮田:まだそんなに出かけているわけじゃないから、なんともいえないですね。それでも改札は、今はカードをかざさなければならないことに戸惑っています。テレビなどはアメリカでも日本の放送は見られるのであまり驚かなかったのですが、この前ひさしぶりにランチでカツ丼を食べたりもしました。

── そもそも宮田さんはどういったきっかけで渡米されたのでしょうか?

宮田:はじめ蒲田の建設会社で働いていたのですが、その会社から命じられて横浜の別会社へ派遣されたんです。

この横浜の会社から「アメリカのロサンゼルスに家を買った。ついてはそこに日本間やお茶室を作りたいので、現地へ行って作業に当たってくれないか」と頼まれたんですね。当時アメリカの賃金は日本で働く3倍くらいになって、とても景気がよかった。だから「おお、アメリカもいいんじゃないか」と月千ドルの約束で、一年契約で渡米したんです。それが70年代初めのことでした。

けれど半年くらいしてから、会社が潰れてしまいました。日本から賃金も材料費も送金されず、仕事もなくなり困ったのですが、たまたまロサンゼルスにあった日本のクラブに出入りしている現地在住の日本人たちと一生懸命友達になり、「日本からやってきた大工さんだから」と彼らが紹介してくれる仕事が次第に増えていきました。

そうこうしている内に空前の「寿司ブーム」がロサンゼルスで起こったんです。すると「寿司バーを作ってくれ」という依頼がとても増えました。今は違うのですが、ブーム当初はいわゆる日本的な寿司バーが歓迎されたんです。

この時はものすごく仕事が入り、一人ではとてもやりきれないほどでした。だからヘルプとして大工仕事は素人同然の学生アルバイトを一日50ドルで20人も集めて、頭数だけ揃えるというようないい加減なこともしていましたね。

宮田満夫さん

暗転と転落

宮田:けれど、そんな中どんどん「日本建築」を手がける大工が増えてきたのです。そもそもアメリカの建築は日本のようにちゃんとしておらず、施工が簡単で仕事も雑です。でも、そんな雑な仕事をやる大工でも自分より安いので、お客はそちらを使う。自分はお金の使い方も下手だったので、だんだん商売がうまくいかなくなっていきました。

── 日本にご家族がいらっしゃったはずですが、この時点で帰国することはお考えにならなかったのですか?

宮田:思いませんでした。というのも妻子をおいて渡米する際、私を派遣した会社がその面倒を見て住まいも見つけると約束していたのです。でも、その直後倒産し、いい加減な会社が妻子の住まいをどこにしたのかわからなくなってしまいました。

自分もロサンゼルスですごく稼いでいた時には送金したかったのですが、そんな事情で連絡をとることも出来ない状態でした。結局、今回の帰国がきっかけで日本領事館が調べてくれて、やっと妻と娘が亡くなっていることや孫が神戸にいることがわかりました。

そうした中でも2009年までは、昼間は大工の仕事をほそぼそとしながら、夜はレストランのウェイターをして食いつなぐことができていました。ところがそのレストランも潰れ、「(宮田さんを)一生面倒見るから」といってくれていたそのレストランオーナーも頼れなくなってしまいました。

この時は1ベッド500ドルのアパートに30年間住んでいたのですが、こちらのオーナーが日本人からメキシコ人に変わったこともあって、ちょっとの家賃の遅れも許されなくなり、支払い遅延のペナルティで100ドルを請求されるなどして、いろいろ嫌になりました。こんな状況もあって、2010年に仕事を辞めアパートを引き払い、ホームレスとなったんです。

アメリカでのホームレス生活

── ホームレスになった宮田さんは、どのように暮らされていたのですか?

宮田:最初はカバンを提げてゴミ箱を漁り、アルミ缶やペットボトルを集めて売っていまいした。そのうちショッピングカートを使うようになり、ビニール袋にいっぱい集めてはカートへ積んで運ぶようになりました。それで当時の一日の稼ぎが15ドルくらいでした。

食事は朝は5ドルのマクドナルドのパンケーキ。夜もまたマクドナルドを毎日。アパートの家賃を払う必要がないのだから、食べていくことは出来るという生活でした。

最初はロサンゼルスのパサデナで一年ほどすごしていました。この時は寝床が決まっておらず、どこでも適当なところに寝ていたんです。でも、ここは警察がすごく厳しい。道路で缶など拾っていたらすぐ注意される。それで仕方なしに今度はサンタモニカへいきました。

ただ、サンタモニカにしても観光地なので、カートを押しているとやっぱり警察に注意されました。それでも海が近く涼しいので、夜中にカートで集めながら移動しながらここでも一年。

そうやって夜寝ないで過ごしていたので、昼間に眠くなったらちょっとしたところで寝ていたのです。するとショッピングカートは置きっ放しなので、たまにそっくり盗まれるんですね。現金も入っていたのですが、そうやって3回は盗難に遭いました。

だから、パサデナ時代には、やっぱり死のうと思いましたね。これ以上生きていてもしょうがない。実際一度首つりの紐や瓶いっぱいの睡眠薬を持って山に入って死のうとしたんですが、山に向かうところでも警察に呼び止められて。持ち物を全部調べられて、自殺も止められました。

好転。暖かなひとたちに囲まれて

宮田:そうやって移動しながら、最終的にいき着いたのがハリウッドのサンセット・ブルーバードやシルバーレイクの近辺でした。あの付近にトンネルがあって、その下で三年間暮らしました。ここがまたいいところで、雨が降っても濡れないし、周囲のひとたちもたとえば道路で走っている人が食べ物や着るものなんかをみんなくれるような環境だったのです。

それまでと同じようにアルミ缶やペットボトルを集めていたんですが、いつも同じルートを通る近隣の各家庭と顔なじみになって、自分のためにあらかじめ貯めておいて貰えるようにもなりました。また、近所のスターバックスにも顔なじみになって、毎日同じ時間にいったら全部タダにしてくれました。

このルートをまわる中で、今回の帰国について尽力してくださった方とも出会いました。こどもを連れて散歩していたその方から「日本人ですか?」と声をかけられ、そこから交流が始まってクリスマスやお正月には家へ呼んでもらい、30年ぶりのおせち料理をふるまってもらいました。

今回ドキュメンタリーを作り、クラウドファンディングをしてくれたキースさんともここで出会ったんです。

── キースさんにお伺いします。今回宮田さんの帰国に尽力されましたが、そもそもどのように宮田さんとであったのでしょうか?

キース:冬の頃、1月でしたかね。仕事場に向かうために車で出かけるところで、缶集めをする宮田さんと出くわしました。年末から新年にかけての時期というのはサンクスギビングデーやクリスマスなどがあって、人が他人に対しても寛容になる季節です。この時宮田さんを初めて近くでお見掛けしたのですが、それまで遠くから見かけている時は60才周辺だと思ったところ、近くで見るともっと年を取っていそうだと感じました。その時はお金を少し渡して別れました。

ある時、宮田さんがいつも決まった経路を回っていることに気づきました。決して若くはない人が缶を集めている姿を見て心が痛みました。そんなある夜、また宮田さんを見かけ、「誰かあの人を何とかしてやればいいのに」と思ったんです。その次に見かけたときにも、「ああ、誰かあの人を助けてやってくれ」と心の中で思いました。それから一週間後にまたお見掛けしたときに、同居しているガールフレンドに向って「あの人を何とかしてあげたいんだ」と言葉が口をついて出たのです。

それから2日後、宮田さんが私の家の前で缶を集めている姿を見て、「他の誰かが彼を助ける」のではなく、「私が力になりたい」とはっきり思いました。

その後、犬の散歩中に宮田さんに道で会い、声を掛けてみました。お名前、年齢などをお聞きしました。そしたら86才とお答えになるではありませんか。私の祖父と同じ年でした。自分の祖父が路上で暮らしていたらと思うと、心がふさぎました。もう見て見ぬふりをしながら生活を続けることはできないと思ったんです。

キース・ハムさん

── 宮田さんに関わる前から、キースさんは「ホームレス問題」に関心があったのですか?

キース:世界で起きる様々な問題にもともと関心はありましたが、行動に移すということはなかったですね。ですから宮田さんとの出会いはウェイクアップコールのようでした。

ロサンゼルスには82,000人のホームレスがいます。ロサンゼルスのリトルトーキョーの南側にスキッドロウと呼ばれる地域(※編注:貧困層の居住エリア。日本のドヤ街に近い)があり、行政のホームレスサービス拠点が集中して置かれています。でも、昨今、遠く離れた病院から患者を連れてきて、文字通りその地域に捨てていくなんてケースが社会問題となっています。車で40分ほどかかるカリフォルニア州のオレンジ郡からバスに乗せられて連れてこられ、捨てられたケースもあります。LAタイムズなどの記事にもなりましたが、スキッドロウに行くと手首に病院のタグをつけ、病院のパジャマを着たままの人がうろうろしているような有様です。(※編注:アメリカは医療費が高く、保険がカバーしないと医療に見放される)

ロサンゼルスはお金のかかる町です。今は仕事があっても、ひどい交通事故を起こしてしまったり、病気になってしまったりすれば、どうなるか分からない。また、アメリカには退役軍人の問題もあります。イラクの戦闘活動に加わった私の兄もその一人ですが。戦場から戻ってきて社会にうまく溶け込めない人がいます。PTSDに苦しんだり、完全に異なる環境で新たに仕事を見つけたり人間関係を築くことが難しくて最終的に路上生活になる人もいます。退役軍人の自殺は戦場で命を落とす人の数より多いのです。

アメリカのホームレス問題は公衆衛生が危機的状況にあることを物語っています。少なくともロサンゼルスでは問題に目覚めた人も多くなりましたが、それでもいまだにホームレスを「迷惑」や「害虫」という言葉で片づける人もたくさん存在しています。

それでもロサンゼルスでは、ホームレスの人をホームレス状態にとどめる方が、サポートやケアをするよりもお金がかかるということに気づいています。悪い状態をそのまま放っておいて、犯罪に関わり収監されればそれだけ高くつきますからね。

── そうしてご自身が「宮田さんを助けたい!」と思った時、何故ドキュメンタリー製作とクラウドファンディングという発想になったのでしょうか?

キース:アメリカにも社会保障はありますが、アメリカ国籍を持つ人が優先されます。ロスの路上にはヒスパニックなどのアメリカ国籍を持たない者も多くいて、なかなか制度につながりません。宮田さんが日本人だと知った時は、「こりゃ大変だ」と思いました。(笑)

だから、私は映像制作を生業としているので、宮田さんの背景や状況などを(ドキュメンタリーで)広く伝えられたらと思ったのです。最初は、その方法を使うことにかなり悩み迷いました。散々悩んだ挙句に緊張しながら宮田さんに「ドキュメンタリーを撮りたい」と打ち明けると、「いいよ」とあっさり快諾してもらいました。私は彼のストーリーを発信すれば、多くの人々の共感を得られると確信していました。彼を日本に帰国させるだけの寄付を募ることが可能だと思ったのです。

「誰か何とかしてやれ」から「私が少しでも行動しなかったら何も起こらない」に気持ちが変化し、実際に宮田さんに関わってからは、実は彼が多くの人に支えられていたということを知りました。それは素晴らしい発見でした。実際、クラウドファンディングで寄付を集めるために宮田さんを撮影している最中でも、いろんな人が「何やってるんだ?」と集まってきて、「あ、この人知ってるよ。前にオレンジをあげたことがある」などと声を掛けてくれました。

── 実際、その計画をキースさんから聞かされて、宮田さんはどう思われました?

宮田:最初は寄附を募るとかではなくて、ただ「ドキュメンタリーを撮りたいのだが」ということだったので、気軽に「いいですよ」と受けたんです。そうしたら、彼が日本人のコミュニティである「リトルトーキョーサービスセンター」というところに連絡をして、そこから寄附を募るという今の形にトントン拍子に進展していきました。この時まで、まさか自分が帰国するなんて全く考えませんでした。

── 44年ぶりの帰国ということで、実際複雑な思いもあったかと思います。

キース:最初の頃、宮田さんは日本に帰りたがりませんでした。なので、アメリカの国籍取得や制度へつなげるための選択肢をいろいろ調べました。しかし、アメリカのセーフティーネットはもともと十分なものではない上にアメリカ国民に優先して活用されます。なので、最終的には宮田さんは帰国して母国の福祉を活用した方が良いという結論に至りました。

今、彼がついに日本に帰国できて私は嬉しいです。宮田さんが日本に順応するには時間がかかると思います。バスの乗り方も分かりませんからね。でも、日本で生活する方が宮田さんにとっては最善だと思います。路上ではなく、地域の一員として。

宮田:帰国といっても、第一お金がなかったし、日本で生活する基盤もなく、最初は戸惑っていたのも事実です。けれどいろいろなことに目処がつき、帰国して生活できることが決まって、最後にキースさんたちがお別れ会をやってくれたんです。さまざまな人と出会えたこの一年間は、夢のようでした。

キース:私は自分のできる範囲のことをしただけです。宮田さんに関わっていた何人もの人々が力を合わせたからこそ宮田さんの帰国が実現できたと思っています。宮田さんの温かさや礼儀正しさ、言葉は分からなくても笑顔を絶やさない性格なども大きく作用していると思います。

「働きたい、根が大工だから」

── こうして帰国された宮田さんですが、今後はどういうふうに生活していきたいですか?

宮田:生活保護を受けながら生活する予定ですが、自分は働きたいんですね。カートを押し続ける生活がたたり足を悪くしていて、3年前にはアメリカの病院で骨の異常という診断を受けていましたが、無理のない範囲で体を動かしていたいのです。

今建築現場に立って旗を振って誘導している人がいるでしょう。ああいう仕事は比較的体に負担がかからなそうだから、週3日くらいでいいのでああいう仕事で働きたい。体が全くダメだったらどうしようもないけれど、ある程度動けるのだったらそうしないと申し訳がない。根が大工だから、働くのが好きなんですよ。[了]

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