「火づくり」制作レポート(2019年4月号)
vol. 30 2019-04-10 0
皆さん、こんにちは。「火づくり」の監督の松浦です。
4月になり、桜の咲く季節になりました。
今の住まいの近所には、小中高、、、と、学校が多く、
ちょっと散歩をするだけで、お花見をしている気分になれるので、
とても気持ちが良いです(笑)
「火づくり」は、変わらず、着々と制作を進めています!
今週末、メインスタッフの定例会議です。
(数カット、新規のラッシュチェックもあります)
僕個人の受注のお仕事の方も、モリモリ頑張っています。
youtubeで公開されている、童謡を題材にしたポケモンのショート
アニメの絵コンテを手伝わせてもらっていますが、可愛いポケモンを
沢山描いているので、とても楽しい気分になっています。
アクションバリバリで、爆発やエフェクトがドッカンドッカンする
作品もそれはそれで楽しいですが、ひたすら平和で可愛いキャラが
戯れるだけの作品も、違った意味の楽しみ甲斐があり、つくづく、
この仕事をさせてもらっている幸せを感じています。
(関係各位の皆様、いつもありがとうございます!)
不定期で、作品にまつわる小噺を書いてきましたが、今回は、
「自分が影響を受けた作品」についてお話ししようかな、と思います。
映画やアニメ、漫画や小説など、、、「これがあったから
こういう価値観になって、「火づくり」を作るに至った」という
関連付けもできるかもな、という意味で、頭で整理しながら、
書き起こしてみます(笑)
色々と思い浮かぶのですが、漫画で言えば「寄生獣」は外せません。
(以下、ネタバレも含むので、未読の方はご了承ください)
初めて読んだのは、中学生の時でした。
マニアックな漫画を好んで読んでいた前田くんという同級生の友人が
コミックスを貸してくれて読んだのが最初でしたね。
いやぁ、もう、、、衝撃でした。
一言で言えば「死生観が塗り替えられた」という感じです。
作中、数々の名場面がありますが、特に好きなのは、
ラスト後藤との対決で、ミギーが新一をかばって、新一を逃がすところです。
薄れゆく意識の中で自らの「これが死か・・・」と、自らの命の終わりを
強烈に意識する見開きの二ページ。あれがサイコーです。
ミギーのモノローグも一切無駄がなく、クールなんですよね。
「意識がうすれてゆく・・・妙に眠い・・・
それなのに孤独感だけがくっきりとおおきく・・・」
「寄生獣」でこの作者(岩明均さん)を知りましたが、
作者の性格がミギーに色濃く反映されている気がしてなりません(笑)
強敵との対峙の末、敗北を選び、全てを諦めて、死に向かっていく、、、という
状況描写とも相まって、とてつもないリアリティがありました。
そういう意味で、「眠り」は「死」に近いのかもしれませんね。
僕は布団に入って眠りにつくまでがとても早いのですが、
スーッと、意識が遠のいて、身体の感覚が薄まっていくのを感じる時があります。
身体がふわーっと溶けて、輪郭がなくなっていく、とでも言いましょうか。。。
あの感覚はなんとも不思議なんですけど、嫌いではありません。
死んだ経験がないので明言はできませんが、実際に人間が死ぬ時も、
あの感覚に近いのかもしれませんね。
「火づくり」の制作にあたっても、「死」の扱いについては、
熟考を重ねました。
作中は「父の死」が、主人公にネガティブな影響を与える要因になって
いますが、「何かの死」が、登場人物にポジティブな影響を与える物語が
あってもいい気がします。
殺人狂や大量虐殺を容認する、という意味ではなくて、「死」という
概念が「失う」とか「別れ」みたいなものではない何かと結びつけられれば、
また違った視点の景色が見えそうです。
と、考えてみると、「寄生獣」の「ミギーの死」は、物語のラストで、
ミギーが進むことになる「別の方向の世界」に、説得力を与えている気がします。
小学校の時の、名前も思い出せない同級生が、何人もいます。
当時は一緒にサッカーしたり、ゲームしたり、時間と空間を共にしていましたが、
今は連絡先も分からないから、接触のしようがありません。
生きているのか、死んでいるのかも分からない。
仮に生きているとしたら、彼らの世界の中で、僕は既に「死んでいる」と言えるのかも
しれませんね。
「誰かに忘れられる」というのは、ある意味で「死」と言える気がします。
寄生獣のラスト、ミギーが新一と違う世界に歩んでいったように、
僕たちは併存するいくつもの世界に存在していて、「同じ場所にいて、同じ体験を
共有している」と思っていても、実はそれは本当に小さい小さい、「一つの点」
くらいなモノで、あっという間に消えてなくなってしまう。
(作中でも、ミギーがそのような発言をするシーンがありました)
悲しいようですが、人と人の接点なんて、そんなモノのような気がします。
だからこそ、インターネットの普及で、直接会ったことがない人と繋がる意味も
あるわけですし、自分はクラウドファンディングという活動を通じて皆さんと
繋がっているわけで、、、
そうやって考えていくと、皆さんと僕をつなぐ「糸」は、すごくすごく細くて、
か弱いものかもしれませんが、作品が完成するまでは、、、いや、作品が完成した
後も、ずっと大切にしたいと思っています。
「寄生獣」の漫画を貸してくれた前田くんは、中学校を卒業して以降、
何年も会っていません。
mixiを使っている時は、同級生経由で繋がり、その頃は、沖縄で保育士として
働いているらしい、という情報までは入ってきましたが、その肝心のmixiも、
パスワードがわかんなくなってログインできない(笑)
運営に問い合わせても返事がないので、今は諦めています。
(前田くん、もし何かの縁でこれを見ていたら、連絡ください・・・笑)
なんだか湿っぽい話になってしまいましたが、「死」を自覚するからこそ、
「生」に意味が生まれ、大切なものだ、と分かるわけなので、考えなしに
「死」を避けたり嫌ったりせず、じっくりと向き合って、自分自身の「生」の
時間を生きていきたい、と思っています。
そんな死生観を僕に教えてくれた「寄生獣」は、ずっとずっと、僕のバイブルです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「火づくり」監督/松浦直紀