この企画にどうやって辿り着いたのか
vol. 5 2022-07-07 0
こんにちは!監督の川村です。
「左」の撮影は絶賛進行中ですが、今日の活動報告では、そもそもどうしてこの「左」の企画に辿り着き、プロジェクトとしてスタートしたのかという経緯をお話しできたらと思います。
左甚五郎というキャラに初めて出会ったのは、思い返すと大学生の頃だったように記憶しています。佐藤雅彦研究室に入ってものづくりを学び始めて、ノーマン・マクラーレンやオスカー・フィッシンガーといったアニメーション/コマ撮りの巨匠達の作品を知り、大昔に観てワクワクさせられたレイ・ハリーハウゼン作品の骸骨やモンスターたちも、実はコマ撮り(=ストップモーション)という手法で取られていたという事実にはじめて気付かされた時期でした。
そんな中、佐藤先生にanimation とは「止まっているものに anima(魂)を与えて動くものにする」ことが語源だと聞かされ、とても美しい表現だなぁと思いました。そしてふと、そういえば昔「描いたネズミ命が吹き込まれて動き出すお話」を読んだような気がするなと思い、うろ覚えだったその話を探していたら左甚五郎を主役とした「ねずみ」という古典落語に辿り着いたのでした。僕が元々探していたお話は実は雪舟の「涙のネズミ」の方だったのですが、甚五郎のねずみも同じく「作ったものに命が吹き込まれる」という話だし、むしろ立体な分、よりコマ撮りアニメーションのコンセプトに似ているなぁと感じたのを覚えています。
そして左甚五郎の話を読んでいると、どうやら彼自体が実在したかどうかがわからない人物であることがわかり、落語の物語自体よりもこのキャラへの興味がすごく湧いてきました。作品は残っているのに、実存したのかが判らないというのがなんとも夢がある。今でいうBanksyのような、正体不明な感じがめちゃくちゃ面白いし、少なくともその「作品」だけは確実に100点以上日本全国に残っている。左なんて名前もいかにも怪しい。左腕しかない隻腕のアーティストだったりしたら、ベルセルクのガッツぽくてカッコいいのになぁなどと思っていたら、どうやらそういう説もあるらしい。
ますます気になってしまってこれは何かの機会(?)にキャラとして使えないだろうかとそれからズーッと考えていました。映画「フォレスト・ガンプ」のように、フィクションのキャラクターなのに史実と絡んだりするような歴史とファンタジーが入り混じった「歴史が原作となる」お話しとか作れたら面白そうだなぁと。いつか漫画に?それとも映画に?などと厨二的に妄想しながら、ちょっとづつ暇を見つけてはお話しを考えたりし続けていました。
そして時は流れに流れて、2020年。
ドワーフの松本プロデューサーから、オリジナル・コンテンツを作って映画会社・配信会社にピッチをしませんか?とお誘いをいただきました。ドワーフとはこれまでも「Domo! World」や「オチビサン」や「スカーレット」といったプロジェクトを共にしており、まさに盟友とも呼べるスタジオだったので、その場で是非一緒に何か考えましょう!と即答している自分がいました。
そこからストップモーションを使った長編ものの企画を一人黙々と考えていたのですが、そもそも長編もの/ストーリーのあるものはほとんどやってこなかったので、そういった長編に耐えうるような企画を考える作業は実に難航しました。既存コンテンツのスピンオフ(原作あり)も考えたりしてみましたが、どうせ作るならオリジナルに挑戦したいよね!ということになったので、ぐんぐんハードルが上がっていく…。それでしばらく悩み続けていた時にふと、昔から考え続けていた「左甚五郎」のことが頭をよぎりました。
僕はこれまでもいろいろな作品で「作り方から作る」を実践して、「映像手法自体が映像表現を強化する」ようなアイデアを実現させてきました。例えば「日々の音色」では「Webcamで撮影して繋ぎ合わせるという映像手法自体が、『繋がり』という表現/メッセージを強化してくれている」ようなことです。
そしてこれと同じような考え方で、大工・木彫職人であったとされる左甚五郎の話を「木彫のストップモーション」で表現できたら、見たことのない物語を描けるのではないだろうか?と思ったのです。甚五郎という木彫職人の物語と木彫ストップモーションという二つの要素が頭の中でパチリとハマった瞬間、身震いするくらい興奮しました。
木彫が「生きている」世界。それは甚五郎が彫ったネズミや竹の水仙のようなものが役者となる世界。その世界で、彫り師であるはずの甚五郎自身が木彫人形で描かれ活躍するメタ的な構造。
その世界ではじゃあ「義手」は「素手」と比べてどう見えるのか?その世界ではどこまでが「人形」でどこまでが「生物」なのか。逆にどこまでが「リアル」でどこからが「フィクション」になるのか。ストップモーション、もっというとアニメーションという技法のコアである「anima(魂)を吹き込む」というコンセプト自体が映像手法になるのではないか?そんな妄想をしていると、さまざまな映像ギミックやプロットがこれまで以上にドンドン頭に浮かんできました。
そして企画書をまとめてドワーフチームにシェアしたところ、みんなもこの左甚五郎の物語に大興奮してくれて、なんとかしてこの企画の映画化を目指そう!と言ってくれました。それがどれだけ大変な道のりか、その時は想像さえできていませんでしたが、こうして「左」プロジェクトがスタートしたのでした。