コラム06:巧拙さまざま(楠美太素の記録)
vol. 7 2023-09-15 0
皆様こんにちは、鈴木まどかです。
先祖の楠美太素が遺した記録にも、
一ツ目弁天での平曲会の様子や出演者の巧拙が詳述されています。
嘉永四年(1851年)二月十六日「一ツ目弁天平吟奉納」
13名出演。後半になってから到着。
6人の検校が左右に3人ずつ並んでおり、2人めが語っていた。
ひとりが語り終えると、熨斗目裃の役人が、琵琶を次の検校に渡す。
江戸の平曲は虎が吠えるような印象もあるが、趣がある。
各々は、一句すべて語るのではなく、平曲の譜本の一枚程度を語る。
六人のうち福住検校と麻岡検校は上手なのだという。
演奏後はお神酒を拝飲する。太素たちはお茶を一服いただく。
下手もあるが多くは上手で、耳をすまし心をすすいだ。
安政三年(1856年)十一月十一日「弘前藩邸大奥平吟会」
御上(藩主津軽順承公)は御美声御上手。
勝雄一(盲人)は上手に語るが声が小さい。
保原検校は老巧だが上手とはいえない。
藤尾(津軽藩邸の奥女中)は夫人であるが感じ入る。
慶應三年(1867年)三月十六日「弁天之平会」
孝明天皇薨去の鳴物停止のため、1か月遅れで二月の平曲会が開かれた。
10名が出演。武中は14歳で声は小さいがよく語っていた。
そのほか上手なものはいない。平曲は地に落ちたも同然。
耳をすまし心を洗うような段階にはとても及ばないが、
好きな平曲の会なので、鬱々とした気持ちは晴れた。
平曲を学んでいる楠美太素の視点でも巧者は少なかったのですね。
それでも平曲会に出かけて、日常と違う一日を過ごすことに、
趣を感じていたのでしょう。