コラム05:巧拙さまざま『遊歴雑記』
vol. 6 2023-09-14 0
皆様こんにちは、鈴木まどかです。
今日は『遊歴雑記』の「一ツ目弁才天音曲奉納」の後半、年中行事の次第に関する記述をざっと現代語訳にしてみます。
毎年二月十六日と六月十九日の両度、盲人が本所一ツ目弁才天に集まり、琵琶を弾じ平家を諷(うた)い奉納する。
まず弁天堂に幼少の巫女や禰宜が神楽を奏する。
その式が終わると、出演する盲人がそれぞれ身分の正装を着て、十八人か十五人ほど、(位の高い)検校や勾当は内陣の首座に並び、(位の低い)衆分の座当は下座に並び、左右に分かれ、御厨子に拝礼ののち着座する。
麻裃を着た俗人(晴眼の役人)が二人、二面の琵琶を持ち出す。
末席の盲人に琵琶を手渡すと調絃を確認し、平家を弾き語る。
その音声は高らかなものではなく、冷(さえ)たるも、唖(かれ)たるも、太い声、鄙(ひな)びた声もある。(※旋律の特徴の説明と思われます)
平家の唱歌は三行から五行だけである。
一人が弾じ終えると、礼服(麻裃)の俗人がもう一面の琵琶を携え、向かいに座る盲人が同じように調絃して語る。
末席の下位の者から、主席の高位の者まで語ると、巳の上刻(午前九時)より午の刻(正午)に及ぶ。時刻や人数はそのときによる。
唱歌の名目は欄間の長押に張り出してある。番組(句組)や出演する盲人は毎年違うが、「横笛」「熊野詣」「朝敵揃」「忠度最期」などが多い。
これに上手下手・巧者不巧者あり。鴨田検校・福一・越一などを上手というべきであろう。
いまどきの音曲と比べると面白いものではないが、古雅であり、淫楽ではなく、野鄙でもなく、訛もなく、座中が寂然として品がある。遠近の雅客がこれを聴くために早くから弁天堂に集まって来る。
いっぽうで風雅に疎い客は、不興に思って帰ってしまう。それも面白い。
私が参詣したのは六月十九日(旧暦なので7月下旬頃)、鬱暑で蒸しており風も無く、喉が渇き膝もしびれたが、同行者が早くから来ており、携えていた茶具をひろげて濡縁で一煎し、私にも居合わせた人にも振る舞ったので、雅曲の席の雅宴のようで、ひとしお面白かった。
いかがでしょうか。
「上手下手・巧者不巧者」「18人中、3名は上手いと思った(=あとは全員下手だと思った)」「面白い音楽ではない」「つまらないと思って帰る客もある」
これが本音だし事実でもあると思います。
その中で、「昔の雅やかさ」や「居合わせた人たちとの交流」を楽しめたら、一ツ目弁天での平曲奉納会にまた行ってみようという気持ちになるのでしょう。