コラム02:なぜ「一ツ目」の地を拝領したのか
vol. 3 2023-09-09 0
皆様こんにちは。当プロジェクトの企画責任者・鈴木まどかです。
お陰様で募集期間25日間の4日目終了時点で、目標額の50%を達成しました。
皆様からのご支援とご協力に心より感謝申し上げます。
さて本日は、なぜ一ツ目の地を拝領したのか、について書きます。
無痛の「管鍼術」を考案した杉山検校は、徳川綱吉を治療した褒美に(見える目の代わりに)「一ツ目」の地を拝領し、当道座の役所「惣録屋敷」を置きました。江ノ島弁財天を祀ったので「一ツ目弁天」とも称されました。
杉山検校の「一つで良いから(見える)目が欲しい」に対して綱吉公が「(見える目ではないけれど)一ツ目(の土地)を遣ろう」という話は、ウィットに富んでいて皆が納得する展開です。
でも、ひとつ前のコラムを思い出して下さい。
竪川には六之橋まで架かっていたのです。
本所開発が始まって間もなくですから、綱吉は本所一帯のどこでも広い屋敷地を用意することが可能でした。見える目の代わりに「一ツ目」ではなくて「四ツ」か「五ツ」の目を大盤振る舞いすることもできたのです。
それに杉山検校の鍼治療をもっと受けたいのなら、隅田川を越えた屋敷地ではなくて、江戸城近くの小さな屋敷を用意すれば良かったのです。
ではなぜ?
ここからは私の想像になりますが、
※旗本ベッドタウンの一等地
※法華頓写(幕府の法要)のとき寛永寺(上野)や増上寺(芝)に水路で行ける
※運河の入り口に水の神様である弁財天を祀れる
※当道座の役所機能を置く広さがある
などの条件をすべて満たせるのが「一ツ目」だったからではないでしょうか。