コラム01:本所は旗本ベッドタウン
vol. 2 2023-09-08 0
皆様こんにちは。当プロジェクトの企画責任者・鈴木まどかです。
お陰様で募集期間25日間の2日目終了時点で、目標額の1/3を達成、
3日目終了時点では目標額の40%を越えました。いちはやくご支援くださった皆様、SNSで情報を拡散して下さった皆様に、心より御礼申し上げます。
さて本日は、本所(ほんじょ)周辺が旗本ベッドタウンとして開発された話と、
運河「竪川(たてかわ)」に架かる橋の名前の話です。
戦国時代が終わり、徳川幕府も落ち着いた頃、幕府は新たな問題が発生します。
戦が無くなったために、新しい領地が手に入らなくなったのです。
また、参勤交代によって、各藩の大名の屋敷地も必要になりました。
そこで、隅田川の東側一帯を、大名・旗本・御家人たちのベッドタウンとしたのです。
goo地図のサービスが終了する2023年9月27日まで、
江戸時代の古地図「切絵図」を見ることができます。
一ツ目弁天があるのは「十九・本所深川繪圖」
すでに、ほぼ東西に延びる運河「小名木川(おなぎがわ)」がありましたが、
その北側に、小名木川と平行に伸びる運河「竪川(たてかわ)」や、
竪川に垂直に交わる「横川(現:大横川)」「横十間川」などを開削しました。
道も運河に平行に作りましたので、縦軸と横軸が明確な街となりました。
竪川に架かる橋は、隅田川に近いほうから一之橋、二之橋、三之橋……と名付けられ、
六之橋まであったそうです。
一之橋やその辺り一帯は「一ツ目」と呼ばれていました。
三之橋が架かる三ツ目あたりまでが、外様大名や旗本の屋敷地に、
横川より東の四ツ目や五ツ目あたりは御家人の屋敷地になりました。
「忠臣蔵」で有名な吉良上野介は旗本で、討入のときは本所の屋敷にいました。
現在の竪川の上には首都高速道路小松川線が走っています。今でも、三之橋を通る道を「三ツ目通り」、四之橋を通る道を「四ツ目通り」と呼んでいます。
JR両国駅の南に一之橋。橋のたもとに一ツ目弁天(江島杉山神社)。
旗本・吉良上野介の屋敷は一ツ目と二ツ目の中間くらいにありました。