二人目の灯り ドラム「増村和彦」
vol. 2 2020-05-19 0
2018年8月、増(村)が住んでいる大分で何日か過ごした。
山と海が近くて、街が凝縮されている港町だった。
バンドのライブが控えていて、二人で練習するために合宿に行ったのだ。
夜、近所の居酒屋で食事をしてから彼の部屋でレコードを聴いていると、
「僕にはこういう友達がいなかったな」って思った。
大分の増の部屋での時間は、何というか、もう一つの人生の一幕のようで、例えばその街のどこかに僕の実家があって、今が夏休みで、、みたいな、そんな気分になった。
その日は花火大会で小さな街に夏がいっぱい漂っていた。
小さな部屋で聴く音楽は、知っている音楽だったけど、初めて聴く音がした。
レコードを何枚か変えながら、僕たちは言葉を交わしたり、黙ったりした。
言葉というのは、同じ言葉でもまるで意味が違う。
「東京」という言葉の意味は、誰にでも同じだが、誰にとっても違う「東京」がある。
音楽を共にする時、同じ言葉に対しての共通項がどれだけあるのかで、出来上がりがまるで違う。
「あれ、取って、、あれ。」
「あれ」の意味を共有できる夫婦のような共鳴が必要なのだ。
2013年だったと思う。初めて増と演奏した時、あまりに自然で驚いた。
確か「抱きしめたい」だった。
2009年にCD-Rで発売した「抱きしめたい」のDEMO音源やファーストアルバムも、増は相当聞き込んでくれていたようで嬉しかった。
その頃、僕はミュージシャンとの交流と言えば、ほとんど入間に録音に来る人たちと顔をあわせる程度だったから、増のやっていた「森は生きている」というバンドから対バンの誘いを受けた時はとても嬉しかった。
初めて一緒に音を出した時の、その自然さというのは「曲への理解」という言葉で説明がつく。
そしてその理解を深めるためには、とても時間が必要だ。
自分の書いた曲でさえ、ちゃんと理解して、体に染み込ませるまで、相当な時間を必要とする。
そして、刻むタイムがその曲の多くのことを司る。
誰かと演奏するというのは「理解」をし合うということ。
僕は、大分まで「理解」を深めるために向かったのだった。
でも、どちらかといいえば、僕が理解を求めていて、増は僕の理解に努めてくれた。
思い返してみても僕は、誰かに歩み寄るってことを人生の中であまりしてこなかった気がする。
それは僕の良くないところだと思うから、改めたいと思っている
実は今回はできるだけ、注文は出さない気でいたけど、、
一度目のテイクに、僕は難色を示した。
そしてラインのビデオ通話で顔を合わせて話すことにした。
久しぶりに顔を見たけど、
声や相手の表情が見えると、文字だけのやり取りの霧が晴れるようだった。
「あれね、、!」
「そうそう、、あれよ!」
そんな言葉が交わされた時によぎったのは、
guzuriでの録音や、大分でのあの小さな部屋の記憶。
その後すぐに送られてきたのが、今のテイクだ。
録音を編集していて思うのは、
僕はもっと自分以外の音楽家の言葉を知る必要があること。
僕の知る「東京」ではない「東京」を知ること。
必要だから、ではなく「知りたい」そう思う。
僕にとって、ドラムとは。(リズム楽器と言った方がいいかな)
二人三脚で息を合わせるような感じ。
たくさん走って、転んで、傷だらけになる。
それでも一人より、ゴールした時の喜びが大きい。
肩を組むんだから、気も合わないと。
今度あの小さな部屋に行けるのはいつだろうか。
行きたい居酒屋も2軒。
唐揚げと、うちわ海老が食べたい。
少しずつ時が熟して、進んでいる。
増村和彦
1986年大分県佐伯市生まれ。ドラマー、パーカッショニスト。2012年からバンド「森は生きている」のメンバーとしてドラムと作詞を担当。バンドは、アルバム『森は生きている』、『グッド・ナイト』をリリース。バンド解散後は、GONNO x MASUMURA、Okada Takuro、OLD DAYS TAILOR、ツチヤニボンド、ダニエル・クオン、アンタトロンディア、水面トリオ、影山朋子など様々なレコーディングやライブに参加。