映画へのコメントまとめ:残り5日です!!
vol. 64 2015-03-27 0
モーションギャラリーをご覧のみなさま、おはようございます!監督の我妻です!
3.11までの3年間、南三陸の小さな漁村に生きる人びとの日常を描いたドキュメンタリー映画『波伝谷に生きる人びと』の劇場公開応援クラウドファンディングもいよいよ残り5日となりました!!
昨日は劇場公開の意義について書きましたが、今日はこの映画に寄せられた関係者のコメントをまとめて掲載したいと思います。先日プロジェクト・マネージャーもアップしましたが、もう一度改めて読んでいただければと思います。
映画の内容についてより詳しく知りたい場合は是非プロジェクトの記事を読んでいただき、もし劇場公開の主旨と作品の可能性に共感していただけた方には是非サポートをお願いできればと思います。引き続きみなさまのご協力をよろしくお願いいたします!(我妻)
※『波伝谷に生きる人びと』の全国劇場公開を応援しよう!!(1,000円からサポート可能です。)⇒ モーションギャラリープロジェクトページへ
~『波伝谷に生きる人びと』に寄せられたコメント~
①小林茂監督より
ひとの生き様に魅かれ、ドキュメンタリー映画に恋をし、新たな自分を発見した映画である。
②本田孝義監督より
この映画には、かの小川紳介にも佐藤真にも撮ることができなかった“むら”の姿が描かれている。
③舞木千尋氏(ドキュメンタリー映画配給)より
画面を通して体のなかに入ってくるものは、歴史からすり抜けていく記憶の肌触り。黙々と人が働く時間のなかに、生そのもののリズムがいっぱいにあふれ出る。「労働」とはけして割り切れない日々の仕事。土地(海)と人を結びつけ、後世に繋がる絶えない営み。ひとりひとりの人生を通した動きが生み出すダイナミズムから、いま社会が離れつつあることを、この映画は美しく、かなしく描き出す。
④小川直人氏(山形国際ドキュメンタリー映画祭「ともにある Cinema with Us 2013」コーディネーター)より
映画のなかで「いい映像ばかり残してけろでば」と作家は言われる。津波によってあまりにも多くのものが失われた現在、残されるべき“良い映像”とは何だったのか私にはわからない。ただ、笑い声の絶えない祭も、人の欲を吐露する老漁師の姿も、すべてがあの土地の生きた光景であり、この映画はそれに誠実に向き合った彼の答えなのであろう。
⑤山内宏泰氏(リアスアーク美術館学芸係長)より
「被災する」ということの本当の意味を知りたければこの作品を見てほしい。日々淡々と繰り返す日常が突然終わる。この作品に映し出された全ての事象を反転した姿、それが東日本大震災の本当の姿である。今、この作品が存在し、目にすることができる奇跡を共有してほしい。そして自分が失うことになるかもしれない「退屈な日常」の価値と幸福の意味を再認識してほしい。
⑥伊勢真一監督より
ドキュメンタリー『波伝谷に生きる人びと』の魅力は登場人物のムンムンするような人間の存在感だ。いつの間にか一人ひとりが昔からの友達のように思えて来て、明日も又逢おうな、又呑もうな・・・と挨拶を交わし合うようにシーンが展開する。
小さな漁村の普通の人々の普通の日々・・・。我妻監督は、見事にその空気のようなものを掴まえている。「普通を誰も教えてくれない・・・」波伝谷が語りかける「普通」に耳を澄ましたら、少しだけ世界が見えてくるかもしれない。
⑦今井友樹監督より
三陸の自然に対峙し恩恵を受けながら、そこに生き続ける。この映画を観ていると、登場するひとりひとりの笑顔がいとおしくなる。こういうひとびとが日本の原風景を作り出しているのだなと実感します。続編も楽しみです。
⑧河崎清美氏(FORTUNE宮城編集長)より
宮城県南三陸町の海沿いに位置する震災前の波伝谷部落を舞台に、人々の営みを映し出す。淡々と綴られた映像は、濃密で生き生きとした人間関係を描くかたわら原初的共同社会の厳しい側面も浮かび上がらせる。そんな社会も時代とともに変化せざるを得ない現実。正否はない。今を生き、 未来をつくっていく誰しもをふと立ち止まらせ、これからどう生きていくべきなのか、問いかけてくる作品である。
⑨海子揮一氏(一般社団法人対話工房)より
荒削りな部分があるものの、震災前の東北の漁村の暮らしが記録された貴重な資料となっている。自然とともに生きること、地域の中で生きることなど、映像から発せられる現代社会への問い掛けは、震災を経てより際立った。記録=歴史は常に意味が変わりゆくものだが、色あせない原石の輝きを持っている。何よりも東北沿岸各地で上映会を行ない、各地の厳しい現実と向き合い、また温かな支援で支えられた青年監督の姿が投影された青春映画でもある。
⑩谷津智里氏(ライター)より
都市的な生活に慣れきった私たちにとって「三陸海岸に面した小さな集落」は物語の世界でしかなく、そこが「被災地」になる以前の暮らしについて想像することは、もはや現実的ではない。3.11の前日まで確かに存在していた「日常」がリアリティをもって目の前に広がる時、私たちは初めて、失われたものは何かについて考え始めることができる。そう気づかせてくれる映画。
※⑧、⑨、⑩は3.11映画祭のレヴューより引用させていただきました。