プロジェクトマネージャー日記#4~3.11を前にして思う~
vol. 46 2015-03-09 0
こんばんは。プロジェクトマネージャーの野村です。
昨日は3月11日直前の日曜日ということで、岩手県の陸前高田市や福島県の双葉町など追悼式を行った自治体もあったようですね。その他にも被災各地では追悼行事やイベントが開催されていたようです。
いよいよ3.11がめぐってきます。その日に向かって助走をはじめたメディアの気分に引きずられ、なんとなくソワソワしながら、今年もその時刻を迎えるのだと思います。
ちなみに明日は10万人以上が犠牲になった東京大空襲の日だということをご存じですか?毎年、東京都慰霊堂で追悼式典が行われますが、そのことを記憶している人は東京にお住まいの人でさえ多いとは言えないのではないでしょうか。
およそ1000人が犠牲になった地元の仙台空襲すら知らない世代が多い宮城では、東京大空襲はなおさらです。風化していくということの現実をまざまざと見せつけられるようです。今年は戦後70年を迎え、戦争の記憶をどのように伝えるかということも課題となっていますが、それは震災の記憶も同様です。既に風化しているといわれる震災の事実と教訓をどのように伝え残していくのか。これは被災地だけの問題ではなく、この教訓を活かすという意味では、これから災害に見舞われる恐れのある被災地以外の地域の差し迫った課題でもあると思っています。
そんな中、震災前を映し出す『波伝谷に生きる人びと』は、震災そのもののから得られる教訓を映し出したりはしません。けれど、そこに流れるゆったりとした時間や、描き出される人の営み、何の変哲もない当たり前の日常は確実に3月11日に向かっていたのです。その当たり前は絶対のものではなく、流れていた時間はかけがえのないものだったことに気づいた時、既にすべてが復元不能に失われていたのが現実でした。
その意味において『波伝谷に生きる人びと』は、映画として被災しているからこそ伝えられるものがあります。今年もめぐる3月11日を前にして、当たり前の意味を考え直してみてはいかがでしょうか?