『波伝谷に生きる人びと』の舞台を知る⑥~部落をまとめる契約講~
vol. 23 2015-02-14 0
こんばんは。プロジェクトマネージャーの野村です。
『波伝谷に生きる人びと』の舞台を知る、6回目の今日は波伝谷部落をとりまとめていた組織である契約講についてご紹介します。
波伝谷には契約講という村落運営のための社会組織があり、波伝谷最大のお祭りであるお獅子様(春祈祷)をはじめとして部落内の重要な役割を担っています。簡単にいえば権限の強い自治会とでも表現すれば良いでしょうか(簡単すぎるかもしれませんが)。宮城県内には各地に同様の組織が見られます。
波伝谷の契約講は明治9年に結成され、約80軒ある波伝谷のおよそ半数の世帯が加入しています。その家の跡取りが結婚すると契約講に入り、戸主は葬儀の互助を目的とする六親講に移ります。同時に女性だけの講もあり、同様の流れで妻たちは観音講から念仏講へと移りました。
契約講では、講長をトップに、年2回の総会を開いて諸事項を取り決めるとともに、講員の家の新築、萱屋根の吹き替え、また海の清掃といった共同作業、波伝谷にある神社の祭礼や春祈祷の準備や進行などを取り仕切っていました。また山林や萱野などの他、冠婚葬祭などに使える道具類などを所有し、講員が共同で利用できるようにしていました。その他、町に対する陳情や、行政区長の選出も担うなど波伝谷の中心的な組織であったといえます。
一方で先に述べたように、契約講には波伝谷の全ての家が加入している訳ではありません。結成当初こそ全戸だったといいますが、次第に世帯が増えるにともない、共有財産の配分に限りがあったため新しい住民を全て加入させることはできなかったからです。そのため比較的新しい分家や移住者の家は親興会や波伝谷会といった新しい会を作り、契約講とは別の文脈で家ごとの親睦を図りました。
波伝谷にとって最も古い組織である契約講は、長らく波伝谷を代表する中心的な組織として機能してきました。ところが、時代の流れと共にその機能は少しずつ縮小していきつつありました。では、その中で契約講の役割や意義を人びとはどのように考えていたのか、講に入っていない住民にとっての契約講とは…1つのムラの組織をめぐる人びとの在り様はぜひスクリーンでご覧ください。
(参考資料『波伝谷の民俗ー宮城県南三陸沿岸の村落における暮らしの諸相ー』)